Fショパン 練習曲集

[1]ショパンの練習曲集について
[2]別れの曲
[3]革命のエチュード
[4]3つの新練習曲よりヘ短調
[5]作品25の2ヘ短調
[6]作品25の3嬰ハ短調


【ショパンの練習曲集について】
ショパンは19歳の秋に友人宛の手紙で「自分流の練習曲を書いた」と述べています。ツエルニーやクラマーのようなピアノ演奏の大家ならばいざ知らず、20歳にならない青年が「練習曲」を作曲すると云うこと自体一種奇異な印象ですが、これはショパンの音楽の特質を示していると見ることが出来ます。つまり、彼の音楽はピアノ(と云う楽器)とそれの演奏(技術自体)とに大きく依存している、と云うことです。ピアノの新しい弾き方〜具体的に云えば音型〜を一つ編み出すことがそのまま一曲の音楽の素材になると云うような、いわば肉体的な作曲方法、が彼の音楽の本質の一部をなしている訳です。

20歳前後〜ショパンがピアノ曲の作曲に励みだした頃〜は、このピアノ上での新しい音型〜作曲の素材〜の発明が盛んに行われた頃であると思われます。このころに書かれたピアノ協奏曲ホ短調についてショパン自身が「本当に特殊なテクニックだ」と我ながら感心するの意の手紙を、やはり先の同じ友人に書き送っていますが、これはその事情をよく表しています。

練習曲と云うのは、本来何らかの練習目的で書かれますから、その目的に添って「ある特定の音型」なり「ある特定の表現技法」なりを中心に一曲が仕立てられます。この曲形態が彼のその頃の作曲方向にピタリとマッチしたと云う訳です。

 


【別れの曲】
現在私たちが楽譜を手にすることの出来る「練習曲」は27曲あって、そのうち12曲が作品10,もう12曲が作品25、残りの3曲がかなり後に発表された作品番号なしの「3つの新練習曲」となっています。別れの曲はこの作品10の3曲目に含まれています。

後にショパン自身が「私の書いたメロディで最も美しいもの」と云ったと伝えられているとおり、基本的にはピアノで旋律を歌う為の練習曲です。ただし、中間部はかなりピアニスティックに盛り上がり、難しい演奏技術を要します。特に手の小さい人には「con bravura」と指示された広い音程の連続する部分は、大変難しいでしょう。


【革命のエチュード】
「別れの曲」にも書いたように、この「革命のエチュード」は練習曲集作品10の12曲目に位置します。以下、「革命」と俗称される所以について、少しだけ書いておきます。

1830年の11月にショパンはポーランドを発ちます。実は、これが祖国ポーランドへの最後の別れとなるのですが、発って1ヶ月もしないうちにワルシャワに革命が起きます。その時ショパンはウィーンに滞在中で、そこで革命の勃発を聞くことになりました。ポーランドとは昔からロシアその他の大国(最近ではナチス・ドイツやソ連)によって牛耳られ支配されて来たと云う背景があり、国民感情として「革命」「反乱」には血が騒ぎ、ショパンとしても是非参加したい、と云う気持ちになったようです。実際、一緒にポーランドを出てきた友人は、この時革命軍に参加するためにポーランドへ引き返します。

しかし、ショパンは引き返すのを思いとどまりました。父親に革命に参加したい旨を知らせる手紙を送ったところ、ひ弱なショパンでは却って足手まといになる・・と云う返事が来たからです。「私は、自ら進んで父の重荷になろうとは思わない。それを恐れなかったら、とうの昔にワルシャワに帰っているだろう・・」とその頃の友人への手紙にあります。

「革命」のエチュードは、曲想がそのような背景(革命への激情とそれに参加できないショパン自身のジレンマ)を連想させるに相応しいために、後から他人が題名をつけてそのように俗称されるようになったものです。全体的に左手で速いパッセージを弾く練習ですが、かなり激しい感情の起伏があります。ただ、このような激情的な曲でも、ついヘナヘナとなってしまう部分(曲の終わりの直前)があるのがショパンの特徴です。


【3つの新練習曲よりヘ短調】
ショパンのピアノ練習曲集は作品10及び作品25の24曲以外に、1840年に発表された3つの新エチュード3曲があります。作品番号はなく、モシェレスらの編纂した「ピアノ教本」の一部として含まれています。20歳前後の同じ練習曲作品と比べると、見る影もなく、金に困ったか頼まれてイヤイヤ作曲したか、どちらにしても一級品ではありません。多分、新しいピアノ技法上の着想が次々生まれていた、いわゆる開発期、は過ぎていたために「練習曲」のようなジャンルはもう書けなかったのであろうと考えられます。

曲は、ショパンお得意の3連と4連の音符が重なることで醸し出す音のアラベスク(幻想即興曲や第3番ソナタのフィナーレ等で活躍する)を狙って書かれ、その中に憂鬱でショパン的な旋律が浮かび上がってきます。


作品25の2ヘ短調
この曲は実際に弾いてみると、速いことは速いのですが、指回りはそんなに困難ではなくどちらかと云うと易しい部類に属するように感じます。ところが、よく楽譜を見ると変な3連符の組み合わせで出来ていて、正確なリズム感で弾き通すのがなかなか難しいのです。普通に弾くとどうしても6拍子のように感じてしまいます。しかし、実際は2拍子で、左手の伴奏は常に2拍3連と感じていなければなりません。このリズムを維持するのはちょっと難しい。上手く弾けると、2拍3連特有の体がよじれるようなリズム感がわき上がります。速い音階が連続するので「ミツバチの結婚」というようなあだ名で呼ばれたりする事もあります。


作品25の7嬰ハ短調
内声部に向かい合って、右手と左手が美しい旋律の2重奏をかなでます。この様子から「恋の二重奏」などのあだ名で呼ばれたりもします。ショパン特有の感傷的な旋律で、独特の暗い甘さを持っていて、よく作品64の嬰ハ短調のワルツと比較されます。晩年のショパンは好んでよくこの曲を弾いていたらしいです。なお、ショパンの作品をいくつかメドレーにしてオーケストラ編曲を施した「レ・シルフィード」と名付けられるバレー用の音楽がありますが、そのイントロにこの曲のイントロ部分が用いられています。


[ページ先頭へ]