
| 作品18 変ホ長調『華麗な大ワルツ』 | 作品69-1 変イ長調『別れのワルツ』 |
| 作品34-1 変イ長調『華麗なるワルツ』 | 作品70-1 変ト長調 |
| 作品34-2 イ短調『華麗なるワルツ』 | 遺作 変イ長調 (B.Index=21) |
| 作品34-3 ヘ長調『子猫のワルツ』 | 遺作 ホ短調 |
| 作品64-1 変ニ長調『子犬のワルツ』 | 遺作 イ短調 (B.Index=150) |
| 作品64-2 嬰ハ短調 |
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【ワルツ作品18 変ホ長調】
ショパンが「ワルツ」として正式に出版した最初の曲です。ただ、それ以前にも、後に「遺作」として出版されることになるワルツは幾つか書いていますが、それらは出版されませんでした。今から考えれば、例えば遺作のホ短調のものなどは、演奏効果もあり充分個性的で面白いと思われるのですが、出版する気はなかったようです。まあ、ポーランドの田舎から大都会パリへとポッと出てきたショパンは、自分の田舎臭さと大流行しているワルツとのギャップにちょっと気後れしたのかもしれません。この曲は、そう言う意味でショパンが意識的に流行に合わせて作った「華やかな」ワルツ・スタイルをとっていて、題名も「グランド・ヴァルス・ブリランテ」と、如何にも受けそうな名前になっています。
【ワルツ作品34-1 変イ長調】
ショパンは生前に8曲のワルツを出版しています。そのうち半分が演奏効果を狙った派手な明るい曲で、残り半分が抒情的で中には暗い曲も含まれます。この第2番は、その「派手な」ワルツの典型でかなり名人芸的な要素を含みます。題名も「Valse
Brilliante〜華麗なワルツ」となっています。
ところで、作品番号34は3曲のワルツを含みますが(1曲目はこの曲、3曲目は「子猫のワルツ」です)、間に挟まれたイ短調のワルツはショパンのワルツの中で最も暗い陰鬱なワルツです。ショパンの場合この辺りの混交具合が特徴で、且つ、大変興味深いところです。
【ワルツ作品34-2 イ短調】
この曲のどこが「華麗な」ワルツか知りませんが、とにかく作品34の3曲は「華麗なる円舞曲」と題して出版されました。作品18(変ホ長調)のところにもちょっと書いたとおり、ショパンはパリで流行していた華やかな「ワルツ」の雰囲気にかなり気後れしたのだと思います。ただ、ショパンの持ち味は「メランコリック」なワルツに発揮されるところが大きく、華麗なワルツの間に挟んでこっそりと出版したのではないでしょうか。
ところで、ショパンのマズルカとワルツは譜面の見かけは良く似ていています。本来マズルカとワルツはリズムが全く異なるものですが、しかし、ショパンのワルツにはマズルカと云って良いような曲想・リズムを持つものも含まれます。特に遅いメランコリックなワルツにはその傾向が強いようです。この曲に関してショパンはある生徒に「この曲はあなたが一生かかってもお弾きにはなれないでしょう」と云うような事を云っていますが、これは彼がマズルカに対して持っていたと同じ感想で、ポーランド人でないと弾けないだろうと云うことです。とすれば、このワルツは実はマズルカに大変近く、ショパンのマズルカ的ワルツの典型ではないかと考えることが出来ます。練習される場合もこのことを念頭に置いておくことは大切かと思います。
【ワルツ作品34-3 ヘ長調】
この曲は「小猫のワルツ」と俗称されています。中間部で付点二部音符2個に続いて装飾音符付きの4分音符6個が駈け上がるフレーズが何度か繰り返されますが、これが「ミャーオ」と鳴いてから壁で爪を掻々する猫の仕草を連想させたのでしょう。余りに有名な「小犬のワルツ」に対抗して猫愛好派の人達が作りだした俗称に違いありません。
しかし曲の洗練度は「小犬」に比べるべくもなく、相当落ちます。良く云えば他愛のない、悪く云えば少々軽薄なワルツに属します。しかしショパンのワルツそのものが基本的にはサロンで請われるままに彼が即興演奏して見せた結果の編集と云うべきものですから、その意味ではワルツらしい作品と云えるかも知れません。
曲は2拍子と3拍子が混交した速い旋回部A、やや俗っぽい旋律のB、例の猫の仕草を連想させるC、の3部分からなります。A、B、等の雰囲気は次ぎに来る作品42の変イ長調のワルツに似かよっています。とにかく嬰ハ短調(作品64)のワルツなどとは対照的な、若く元気なショパンが華やいだ雰囲気の中で作った明るいワルツです。
【ワルツ作品64-1 変ニ長調】
小犬のワルツの由来は、ジョルジュ・サンドの飼っていた小犬が自分の尻尾を追っかけてクルクル回る光景から着想して作ったと云う逸話から来ています。同時にアップしている「小猫のワルツ」と一対をなすかも知れませんが、聞き比べて頂ければ分かるように「猫」に比べてこの曲はかなり洗練されており、味があります。それは、この曲があの「嬰ハ短調」のワルツと同じく作品64に含まれ、ショパンの晩年の作品であると云う事実によります。その意味で、初心者にも易しく弾ける曲でありながら、ショパンの代表的作品の一つに数えられて良いものだと考えます。
【ワルツ作品64-2 嬰ハ短調】
ショパンは20曲以上のワルツを書いたと云われていますが、生前に出版されたものは8曲に過ぎません。この嬰ハ短調作品64の2、はこの8曲の最後に出版された3曲(作品64)に含まれる曲で、彼のワルツの中の最高傑作と評されています。この曲ではワルツ=舞踏曲と云う意味は殆どなく、彼のマズルカ作品のように内面的な表現を意図したものだと考えられます。
ショパンの死の2年前の作品で、従って曲想は暗く、しみじみとしたA、力なく空回りするようなB、静かに沈潜して行く憧れを秘めたC、の3部分から構成されています。私はBを結構なテンポで弾き飛ばしましたが、もっとテンポを遅くしてこの空回り感を出しても良いかもしれません。Cの部分は、魂と肉体がどんどん解離して行きその解離して行く魂を(取り戻す力は既になく)ただ憧れをもって見つめている・・と云う風に弾きます。とにかく死の影が濃厚に漂った作品です。
【ワルツ作品69-1 変イ長調】
このワルツが「別れのワルツ」と呼ばれる所以について記しておきます。
1835年の夏、ショパン(25歳)はポーランドを出て以来久しぶりに両親に会う事が出来ました。これは、彼にとってはこの上ない幸せな数週間でした。「この日が来るのを本当にどんなに長く僕は待ち続けこがれていたかを考えて下さい。幸福、幸福、幸福なのです。僕は嬉しくて、息がつまるほど接吻します」・・と彼は姉のルドヴィカに手紙を書いています(実は両親とはこれが生涯の別れになってしまうのですが・・・)。
この帰り、ショパンはドレスデンに立ち寄り、知り合いのヴォジンスキ伯爵一家を訪ねます。この一家には3人の子供がおり、長男のフェリクスはワルシャワの音楽学校でショパンとともに学んだ仲でした。ここで、この妹のマリア・ヴォジンスカ(16歳)にショパンは恋心を懐くようになりました。マリアの母親はこの件に賛成でしたが、マリアの伯父の当たるマチウェイ・ヴォジンスカが反対します。肺病やみの田舎ピアニストでは釣り合わないと云う訳です。ドレスデンを去ってパリに戻るにあたって、ショパンはこの変イ長調のワルツをマリアに送りました。
翌1836年夏に再びショパンはヴォジンスキ一家と会い、マリア・ヴォジンスカに結婚を申し込みます。彼女の母親は「伯父を説得するから公の婚約は待つように」と云い、その後しばらくは手紙のやりとりの中では「黄昏の事」と云う暗号で婚約の一件が表現されたりします。おそらく、1836年夏の終わりの「黄昏時」に結婚の約束がなされたのでしょう。
しかし、結局この件は実を結びませんでした。伯父の反対を押し切れなかったし、マリア・ヴォジンスカはジョルジュ・サンドのような行動的な女性でもなかったからです。1837年になって、ショパンもこの結果を受け入れ、マリア・ヴォジンスカとの結婚をあきらめてしまいました。ショパンの死後遺品の中にマリア及び母親のテレサとのやりとりの手紙の束が発見され、そこにはドレスデンを去るときにマリヤから貰ったバラの花が添えてあり、上に「我が悲しみ」と記されてありました。
「別れのワルツ」はショパンの生前には出版されずに死後6年経ってから(1855年)友人のフォンタナによって出版されましたが、草稿には「マリア嬢へ、1835年10月、ドレスデンにて」と記されています。
弾いてみるとすぐに分かりますが「別れ」から連想される悲痛なものは全く感じられません。直前に過ごした両親との幸せな日々の想い出が背後にあり、マリア・ヴォジンスカへの恋心が淡いタッチで描かれています。しかし、どことなくやるせない気持ちに満ちていて、両親との再会が今生の別れでもあったこと、マリアへの恋が成就されないこと、等をショパンの直感が察知していたかのような感があります。
なお、上掲文中手紙の部分は「ショパンの手紙」(アーサー・ヘドレイ編、小松雄一郎訳、白水社)から引用しています。
【ワルツ作品70-1 変ト長調】
この曲は作品番号70とありますが、ショパンの死後出版された「遺作」と云う事になります。現在知られているショパンのワルツの多くは死後出版されたものなのです。ちなみに「幻想即興曲」として知られる作品番号66以降が遺作に当たります。
曲は華やかで明るいものですが、特徴としては全体にウィーンの民族楽器「ツィター」を思わせるパッセージに満ちている事にあります。「ツィター」はヨハン・シュトラウスのワルツ「ウィーンの森の物語」に出てくる事でも分かるように、ワルツの本場ウィーンの雰囲気をよく表す楽器でハワイアン・ギターと大正琴を混ぜたような感じのものです。ショパンもきっと「ツィター」を模倣してサロンで即興演奏し、喝采を受けたものではないかと思います(特に中間部)。
但し、曲は完成しているとは云い難く、ショパンが即興演奏の後、家に帰ってから忘れないためにメモしておいたものがそのまま出版された、と云う印象です。中心となる速い旋回部分の左手などはT、X、の2和音しかなく即興演奏向きの単純さを備えています。終わりもやや尻切れとんぼで、ショパンがその内これにコーダ等をくっつけて出版しようと思っている内に忘れてしまった、と云う曲ではないかと思います。
【ワルツ(遺作) ホ短調】
出版されたのは死後(1868年)ですが、20歳前後の作品と考えられ同期に作曲されたホ短調のP協奏曲と同じようなテイストをもっています。華やかでピアニステイックな効果があるため、好まれ、良く弾かれる曲となっています。
【ワルツ(遺作) 変イ長調
B.Index=21】
20世紀になってから発見されたワルツの一つで、エルスナー(ショパンの先生)の娘の楽譜帳に書かれていたものです。1827年頃(ショパン17歳)の作品と考えられ、 若いショパンの作風がよく分かります。つまり、伴奏は殆どTとXで出来ており、この上に冒頭の右手音型が次々と展開して行く、と云う即興演奏然としたものです。ホ短調のワルツにも見られますが、同じコード進行を続けながら、右手を次々に変化させて曲をつないで行く、と云う手法は如何にも即興演奏向きで、ショパンの多くの作品がこの手法で作られたと思われます(無論、出版するためには、後からずいぶんと手を入れる訳ですが・・)。
【ワルツ(遺作) イ短調
B.Index=150】
作曲された年代は不明です。ショパンは出版する目的以外にも、親しい人や生徒に小曲を書いて渡してやる、と云った事が多かったようですが、その目的では「ワルツ」は手軽で恰好のジャンルだったのでしょう、そのような形で残されたワルツが結構見つかっています。この曲もその一つで、ショパンのお得意様(つまり、きちんと月謝を払ってくれる、金持ちのピアノの生徒)に書いて与えたのではないかと云われています。