ショパン:ポロネーズ、即興曲、バラード、スケルツォその他

 

[1]作品40-1イ長調『軍隊』 [8]別れのポロネーズ [15]ギャロップ”マルキ”
[2]作品53変イ長調『英雄』 [9]ソステヌート [16]子守唄 作品57 
[3]幻想即興曲 作品66  [10]ヘクサメロン変奏曲  [17]スケルツォ第1番 
[4]コントルダンス 変ト長調 [11]『春』(ショパン自身の編曲)   
[5]葬送行進曲ハ短調 作品72-2 [12]ラルゴ変ホ長調   
[6]葬送行進曲変ロ短調 [13]パガニーニの想い出   
[7]バラード第1番 ト短調  [14]マズルカ”シマノフスカ”  

【ショパンの作品番号について】
現在ショパンの作品は、非常にささいな断片まで含めてよく整理されていますが、生前、正式の作品番号を得て出版されたものは、案外少なく、作品番号でいうと、作品65(演奏会用アレグロ)までで、それ以降のものは全て遺作と云うことになります。ショパンの死後、親友のフォンタナがアメリカから帰国し、姉のルドヴィカとともに、出版されなかった草稿を整理し、遺作として出版しました。これらには一応作品番号の付けられたものも多いのですが、この時の選に漏れたものや、或いは、それ以降見つかったものも多く、現在は作品番号のない遺作もたくさん存在します。

これらを整理して、番号で曲を特定できるようにしたものの代表的なものとして、Maurice John Edwin Brownによるもの、Krystyna Kobylanskaによるもの、の二つがあります。前者は[B.I.]番号、後者は[K.K.]番号として、作品番号のない遺作を識別したいときに用いられます。ここに掲載した楽譜も、作品番号や題名だけで曲が特定しにくい場合はこれを用いている場合があります。


【ポロネーズについて】
名前が示すとおり、ポーランド発祥のゆったりとした3拍子の舞曲です。バロック期、バッハやヘンデルの組曲に「ポロネーズ」が含まれている事もありますが(例えばバッハの管弦楽組曲第2番に含まれる有名なポロネーズ)、この時期のポロネーズはショパンのそれ程はっきり定型化されたリズムを備えていません。ショパンのポロネーズに見られるような、「タンタカタッタッタッタ」と云うリズム型が確立したのは18世紀後半であると云われています。

舞曲と云うよりは「行進曲」に近く、宮廷の舞踏会の会場に入場時この音楽に合わせて優雅に行進する、等と云った使われ方をするようです。現在でも、ウィーンで毎年恒例の「町の舞踏会」での入場時に、ショパンの軍隊ポロネーズが演奏されていました。

ショパンは10曲以上のポロネーズを残していますが、もう一つのポーランドを代表する舞曲である「マズルカ」と同様に、ポーランドへの思いを強く盛り込んでいて、「ポーランド人以外にはとても弾けないでしょう」のようなことを生徒に云っていたようです(作品26-2変ホ短調のポロネーズに対して)。ショパンが、異国の空の下で祖国ポーランドに対して持っていた思いは、ちょうどバッハが、何かなじめない都会生活下で「キリスト教」に対して持っていた思いと良く似た位相関係にあり、マズルカやポロネーズを弾く際に、先ず理解しておかなければならない問題です。

●『軍隊ポロネーズ』イ長調
俗称である『軍隊』の名に相応しく、力強く華麗な曲としてショパンの中でも人気曲の最右翼です。ショパンが異国にあって、祖国ポーランドを思うときに、このような栄光満ちた憧れを懐いていたのであろうと云うことがよく分かります。

●『英雄ポロネーズ』変イ長調
ショパンの全作品中で、最高の出来映えを示す名曲です。絢爛豪華な名人芸的演奏効果と、ポーランドへの思いとが見事に融合して古今のピアノ名曲中屈指のものと数えられています。但し、『軍隊ポロネーズ』と比較すると演奏は格段に難しくなります。

●『別れのポロネーズ』変ロ短調(B.I.=13)
ショパン16才の頃の作品で、トリオにロッシーニのオペラ『泥棒カササギ』からのアリアが使われています。ショパンはこの年、ワルシャワの国立劇場でこのオペラを友人と観ており、その友人のお気に入りのアリアを使ってポロネーズを作曲したわけです。ちょうど、この年妹のエミリアとショパンは病を得、このために湯治に出かけており、このちょっとした「別れ」の挨拶がわりに友人にこの曲を送っており、そのために「別れ」と云う題名がついています。
《楽譜について》
この年(1826年)に自費出版されたようですが、草稿は残っておらず、現在は様々な異稿が存在します。原則的にパデレフスキー版とヘンレ版を参考にしましたが、様々な異稿から、私の独断と偏見で「エイヤ!」と決め打ってあります。煩雑な記譜は、私の判断で見やすいように書き改めた部分もあります。この点ご了承下さい。


【即興曲について】
即興曲(Impromptu)の名称は、ショパン以外にも多くの作曲家が用い、余り凝った作りではない小品に対して命名されるようです。シューベルトやフォーレなどの作品が良く知られていますが、ショパンの場合、即興曲と命名される以外の作品でも(例えば「ワルツ」等)、即興的に演奏されたものを元にして後から手を入れ完成させて行く、と云った手法で作曲されるものが多かったようですから、「即興曲」がとりわけ、他の作品に比べて即興的であるかと云えば、そうでもないように思われます。

ショパンの作品を見て行くと、ある決まった左手の低音進行又はコード進行の上に乗って右手のフレーズが展開して行くと云った作品が多く見あたります(例えばホ短調や変ト長調のワルツ)。これは、多分ショパンの即興演奏の様式が反映しているのであって、この点、ジャズなどで行われるコード進行に基づいた即興演奏(アド・リブ演奏)にかなり近い方式で彼の即興演奏が組み立てられていたのではないか、と思わせるふしがあります。

●幻想即興曲
ショパンの即興曲は現在4曲が残されていて、作品番号的にはこの「幻想即興曲」が最も後ですが、これは死後出版された為で、実際に作曲されたのは最も若く、24歳頃ではないかと云われています。曲は、右手4個対左手3個の速いパッセージが動き回る嬰ハ短調の部分と、この右手がそっくり長調に移され、ゆっくりしたテンポで歌われる変ニ長調の中間部から成ります。この中間部は歌詞をつけてポピュラー曲として歌われたりしているほど、良く知られた曲です。


【コントルダンス変ト長調(B.I.=17)】
コントル・ダンスは英語の「カントリー・ダンス」の訛った物で、そのまま訳せば「田舎風の舞曲」となります。18、9世紀にヨーロッパで流行し、モーツァルトなどがこの舞曲作品を残しています。ただし、ショパンの「コントルダンス」は、17才頃に書かれたとされるこの変ト長調の1曲だけで、マズルカやワルツのように後に続く舞曲ジャンルではなかったようです。曲も、これと云って特徴のある物ではなく、現在も余り演奏されることはありません。ただ、ショパンの作品としては弾きやすい類に入りますので、「楽しみ」に、或いは初めてショパンの作品を与える初級生徒などへのレパートリーとしては向いているかと思います。


【ソステヌート 変ホ長調(B.I.=133)】
1952年に発見された小品で、ワルツと云われる事が多いようですが、弾いてみるとマズルカか小さなノクターンのようで、「ワルツ」のリズムは余り感じられません。もっとも、ショパンのワルツは内容が広いですから、ワルツとしても全く問題ありませんが。ショパンの作品としては、とても弾きやすく、バイエル程度で充分こなせる(割には、とても美しい)作品で、レッスン・レパートリーに重宝します。


【ヘクサメロン変奏曲より(B.I.=113)】
ヘクサメロン変奏曲と云うのは、パリに亡命中のクリスティヌ・ベルジョジョーソというイタリア公妃が、同じイタリアからの難民救済チャリティーとしての企画したもので、リストが取り仕切って、当時の有名ピアニスト6人に、変奏曲を合作させて金を得るという趣向のものでした。この、第6変奏をショパンが受け持った訳です。テーマには、ベルりーニのオペラ「清教徒」からの一節がとられ、リスト、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、ツェルニー、ショパン、と云う当時の有名ピアニストが1変奏ずつ受け持っています。ただ、音楽としての全体はリストがまとめた為に、変奏曲全体はリストの作品、のようになっています。この第6変奏の最後も、実際はリストによるまとめにつながって行くもので、これだけ独立させて弾こうと思えば、(楽譜のように)何か適当な終わらせ方をひねり出しておかなければなりません。

ちなみに、「ヘクサ・メロン」は「6つの詩」程度の意味ですが、イタリア・ルネサンスの大立て者ボッカチオの「デカ・メロン」をもじったものでしょう(ヘクサ=6、デカ=10)。デカメロンは10日物語とか訳されますから、その意味では「6日物語」でしょうか。


【歌曲「春」の編曲(B.I.=177)】
遺作として出版された歌曲集作品74-2に含まれる「春」と云う題名の歌曲を、ショパン自身がピアノで演奏できるように編曲したものです。非常に素朴な旋律が繰り返され、さわやかな感じの田舎風の印象があり、好感が持てます。弾くのはやさしく、バイエルの半ばで充分に弾けます。バイエル半ばで弾けるショパンとして貴重です。なお、冒頭の発想標語は、手稿によって、Andatino、Lento、の二つがあります(どちらでもよい)。


【ラルゴ変ホ長調(B.I.=109)】
短い断片のような曲で、おそらく前奏曲集(作品28)に入れるつもりで書かれたのでしょう。曲の感じもハ短調(20番)の前奏曲と似ています。或いは、ホ長調の前奏曲とも同系統のサウンドを持っています。ショパンの前奏曲集には、このようなオルガン的サウンドの曲がいくつか含まれていて興味深いところです。


【パガニーニの想い出(B.I.=37)】
ショパンが19才の頃、パガニーニがワルシャワで演奏会を開きます。そこで聞いた、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭」のテーマによる変奏曲(作品10)に触発されて、ショパンも同じテーマによる変奏曲を書いた、と云うわけです。パガニーニについては、リストも大きな影響を受け、ヴァイオリン界だけでなく、音楽界一般に影響のあった大物演奏家であったことが分かります。
曲は、殆ど変化しない左手の伴奏の上に、きわめてショパンらしい華麗なパッセージが乗るという、変奏曲で、後の「子守歌」や変ニ長調のノクターン(作品27-2)と同趣のつくりです。ショパンはこの頃、既に練習曲(作品10)のいくつかを作曲し始めており、この曲にも本格的なショパン節が聞かれます。


【葬送行進曲ハ短調 作品72-2】
ショパンには「葬送行進曲」と名の付くものが2曲あって、有名なのは第2ソナタの第3楽章に流用された変ロ短調のものです。しかし、このハ短調の葬送行進曲も全く知られていなかったわけではなく、作曲された頃はバンドに編曲されて演奏されたりしていたようです。

ショパンが17才の頃の作品で、この年に3才違いの妹「エミリア」が亡くなっていますので、その為に書いたのではなかろうかと思われます。いわば、高校生のショパンが中学生の妹の死に対面したわけで、変ロ短調の重く深い悲しみの曲想に比べて、淡く若々しい悲しみが感じられ興味深い作品です。誰かが、ショパンの音楽は、その一つ一つが彼の人生の記録である、と云うような事を云っていますが〜要するに複雑な作曲技巧を凝らして長い間かかって彫り上げた作品ではなく、直裁にその場その場の体験を音に吐き出した、と云う意味です〜そのように考えると味わい深いものがあるかと思われます。


【葬送行進曲変ロ短調】
余りにも有名な葬送行進曲です。変ロ短調の第2番ソナタ自体は、かなり八方破れ式のユニークなソナタですが、なにしろこの第3楽章の重みが大きく、全楽章の焦点がこの葬送行進曲に集まっている、と云っても良い程です。有名な出だしの旋律に続いて、中間部では非常に穏やかな天国的な旋律が歌われます。ショパンの残した作品中でも、1、2、の出来を競う絶品です。


【バラードについて】
バラードは譚詩曲などと訳され、物語風の内容を持った音楽に使われるジャンル名です。ショパンのバラードは4曲残されており、いずれも内容豊かな大曲で、「物語曲」の題名にふさわしいものです。それぞれに対応する叙事詩があったように云われていますが、確定的なものではないようです。物語の筋道を追うと云うよりも、もっと音楽的に昇華されており、原詩を知らなくても充分楽しめる、まとまりのある音楽に仕上がっています。

●第1番 ト短調 作品23
ショパンのバラードの中では最もポピュラーなものではないかと思われます。長大な曲をまとめるために、ソナタ形式を使って書かれており、ベートーヴェンによって様々な可能性を試されたこの形式が、如何にもロマン派の音楽によく当てはまるかが実感されます。ユニゾンで奏される物語風のイントロの後、属7のアルペジオで構成された第1主題が現れます。この直前の和音は(私の演奏では)6度上の7の和音ですが、主和音の第二転回型としている楽譜も多く、どちらでも構いません。
紆余曲折の後に、最後に華々しいコーダに入り、劇的な両手オクターヴの下降音階で幕を閉じます。この終わり方は如何にも素晴らしく、あらゆるピアノ音楽の中でも、最も劇的なものの一つに数えられると思います。


マズルカ ”シマノフスカ”(B.I.=85)】
20世紀になってから発見され出版されたマズルカで、ポーランドの女流ピアニスト”マリア・シマノフスカ”のノートに記されていたのでこの名で呼ばれます。ショパンのマズルカは総体にテンポの揺れが難しく、指はやさしくても、なかなか上手く弾けません。3拍子ではありますが、ワルツとは全く異なります。


ギャロップ”マルキ”】
”マルキ”とはジョルジュ・サンドの買っていた犬の名前です。中間部の変ニ長調の所で出てくる”ディブ”と云うのも、同じく犬の名前です。子犬のワルツのギャロップ版と云うところでしょう。ただ、子犬のワルツと異なって大変単純で、バイエル程度で充分弾くことが出来ます。多分、正式な作曲と云うよりは、サンドの娘(ソランジュ)が弾くためにでも書いたのでしょうか。


【子守唄 作品57】
ショパン34才の時の作品ですが、この年父親のニコライが亡くなり、ショパン自身の健康状態もすぐれず、いわゆる「晩年」にさしかかろうとしていた頃です。実際に作品が書けるのは、残された数年になったのです。ただ、作曲技巧は円熟し、若く元気な頃の勢いはないものの、第3番ソナタやノクターンなど、非常に味のある作品が並びます。子守唄は、そのような典型的な作品で、ある意味で最もショパンらしい個性的な作品です。左手の伴奏部は殆ど変わらず、その上に、右手がシンプルなテーマを極めて繊細に変奏して行きます。その変奏も決して外面的な演奏効果には頼らず、ピアノの技巧がそのまま音楽であり得たショパンの面目躍如たる作品になっています。


【スケルツォについて】
スケルツォは速い3拍子の曲で、題名は「気まぐれ」「冗談」のような意味を持っています。このスケルツォを有名にしたのはベートーヴェンで、彼はソナタ(交響曲を含む)の第3楽章に、それまでのメヌエットに代えて「スケルツォ」を置くようになりました。メヌエットの持つ「優雅」な曲想に比較して、スケルツォの方が個性的な楽章を個性的な楽章を構成できると思ったのでしょう。ベートーヴェンは独立したスケルツォを作りませんでしたが、ショパンは独立したスケルツォを4曲書いています(ソナタのスケルツォを数えると6曲ですが)。これらは4曲とも非常にピアニスティックで中身の濃い作品に仕上がっており、ショパンの代表作の位置を占めています。

●第1番 ロ短調 作品20
ショパンの21才頃の作品で、激しく動き回る主部の演奏効果は素晴らしく、若々しさに満ちています。ショパンのスケルツォは、Scherzandoの意味するような「冗談」、「気まぐれ」のような軽い雰囲気よりも「不安」「疑問」と云うようなより深刻な面を示すことが多く、この第1番も印象的な半減七の和音強打で始まり、嵐の前の一閃の稲妻と云った趣です。嵐が一旦収まると、ポーランドの古い子守唄が静かに流れ、再び嵐が復帰し一層激しさを増した素晴らしいコーダで曲を閉じます。

この曲の欠点は、構成が単純な歌謡形式で出来ているために同じ繰り返しが多く、長丁場(私の演奏で10分弱)では若干退屈になることですが、その分練習者には(練習するパッセージの数が少ないので)楽であるとも云えます。しかし、まあ相当な腕前を必要とする曲には違いありませんが。
 

 

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