バッハ:インヴェンション、平均律曲集

 

【インヴェンションについて】
これらの曲は元来バッハの長男フリーデマンの教育用に書かれた《フリーデマンの為のクラヴィア小曲集》に含まれていたものです。従って「教育用」の作品と考えられますが、単なる指の練習曲ではなく、「音楽的な趣味」そのものの育成を目指すと云う意味での「教育」のようです。それ故、「曲が短い」事を除けば各曲ともかなり難しく、内容も充実していて、バッハの代表的な作品の一つに数えられています。
「インヴェンション」の意味は、発明とか着想とか訳されますが、曲の題名としてはちょっと奇異な感もあります。バッハ自身もこの名称には迷った形跡があり、《フリーデマンの小曲集》の中では、「プレリュード」と呼んでいます。ただ、同時代のイタリアの作曲家、F.A.ボンポルティによるヴァイオリンと通奏低音の為の曲に「インヴェンション」(1713)の名があり、バッハはここからこの名を付けたのではないか、と云われています。1723年のバッハ自筆の表題にはインヴェンションの言葉が、「この曲集では・・・・良い着想〜インヴェンション〜を得ることと、これを上手く展開すること、そして、とりわけカンタービレの奏法を会得し、作曲への興味が高まる・・・ことへの道筋が示される」という風に使われています。インヴェンションのおおよその意味はここから分かるのではないかと思います。なお、インヴェンションには2声と3声かそれぞれ15曲ずつありますが、3声のものは現在ではインヴェンションと呼ばずに「シンフォニア」と呼ぶことが多いようです。

余談ですが、長男フリーデマンは手厚いバッハの音楽教育を受けましたが、どうも教育パパすぎてプレッシャーがあったのか、エマヌエルやクリスチャンのような立派な音楽家としては成功せず、晩年は飲んだくれて落伍者として亡くなっています。

【練習のコツ】

1)装飾音符等
バッハ等の作品を弾くときに、先ず問題になるのが「装飾音符」の付け方ですが、以上の15曲に関しては、基本的に私の趣味と判断で装飾音符をつけています。従って市販の色々な楽譜とは一致しないところも多いかと思います。しかし、逆に実際に練習時には迷ってしまう方も多いかと思いますので、以下(蛇足ですが)付記します。

問題はバッハ自身が、その頃の習慣(〜演奏者の裁量に任せる)に従って、装飾音に関して何の指示もしていないことに原因があります。現在残っている「原典版」と云われるものにはなにがしかの(バッハ自身の)書き込みがありますが、これはバッハがレッスンの際に生徒(フリーデマン?)に、ちょっとしたアイデアを与えるために横から(参考程度に)書き込んだものと考えられます。従って、原典版の指示通りに再現するのは片手落ちです。何故なら、生徒が(わざわざ指示されなくとも)当然装飾音をつけて弾いたであろう所には書き込みはないわけですから。

この為に、ブゾーニやツェルニー等、色々な人が自分なりの注釈を加えた校訂版が昔から存在します(お手元のインヴェンションの楽譜はツエルニー校訂版の事も多いかと思います)。しかし、バッハの作品をツェルニーの趣味で弾くのはちょっと気が引けますし、なによりも、元来「教育」目的であったこの作品の本質を踏み外すような気もします。

とすれば、要するに自分の判断や趣味に従って弾く他ないわけで、逆にこの「自分の趣味」を高めることが「練習」「教育」の対象であると思います。

なお、バッハの「装飾音符」の弾き方については色々な解説書がありますが、フリーデマンの弟であるC.P.E.バッハの書いた「Versuch ueber die wahre Art das Clavier zu spielen」(日本語訳では「正しいピアノ奏法」又は「正しいクラヴィア奏法」〜東川清一訳)が詳しく読みやすいので、未だお読みでない方は一度目を通される事をお奨めいたします。

2)テンポ、フレージング、曲想
装飾音と全く同じように、これらにもバッハ自身のの指示はありません。要するにこれらがそれ自体「練習」の対象であった、と考えられます。自分の趣味を大切に弾いて下さい。ツエルニー等の指示に比べると、上記データのテンポは若干遅い目ですが、これも、もっと速いのが良い、と云う判断が有ればそのように速く弾くべきである(その判断自体が練習です)、と思います。


 【平均律曲集について】
近代ドイツ音楽の金字塔としてもてはやされる「平均律曲集」も、その前奏曲のいくつかは《フリーデマンの小曲集》に含まれており、やはり元来「教育用」の曲であったと思われます。ただ、インヴェンションと異なって、こちらは24全調にまたがって書かれ、曲も前奏曲とフーガの一対で出来上がっていますので、かなり手の込んだ作品です。ただ、前奏曲とフーガは同時に一対のものとして作曲されたわけではなさそうで、前奏曲(の11曲分)は、「フリーデマンの小曲集」に含まれています。
この曲集の原題には「上手く調律されたクラヴィアの為の」と云う表現はありますが、「平均律」と言う言葉は見あたりません。従って、全調を(調律の変更なしで)何とか弾くことが出来る、の意味が「Wholtemperierte〜英語でWell-tempered」の意味で、現代のどの調でも全く同じように弾ける12等分平均律ととるのは間違いのようです。おそらく、平均化された5度と純正5度とを使い分ける、キルンベルガー方式の平均律がこれに該当し、この証拠に調号の多い曲と少ない曲では、曲想に若干の違いが見えます。なお、調律法としての「平均律」についての詳しい知識は「エッセイ」をお読み下さい。

なお、ショパンは自分が行うレッスンに、この平均律(とクレメンティの29番)を使うのを常としており、彼自身全曲を暗譜で弾けたと伝わっています。彼の24の前奏曲(作品28)も、おそらくこの「平均律」をお手本にしたものだろうと思われます。

●第1番ハ長調
《前奏曲》
明るく透明感のある分散和音から成り立っており、誰かがこの曲をニーチェの「大いなる正午」と評しましたが、その通りの偉大な平明性をもった曲です。グノーはこの曲をそっくり伴奏に使って、有名な「アヴェ・マリア」を書きましたが、彼が用いたテクストは(シュベンケによって)1小節余分に挿入されたものであり、結果バッハの原典からは1小節余分にはみ出しています。

《フーガ》
主題の提示が終われば、間奏なしにすぐにストレッタに入り、めまぐるしく出入りを繰り返します。この濃密な構成の割には、曲想はどこかのどかなところがあって、「大いなる正午」の評が本当にぴったりです。ただ、ストレッタの多い分大変弾きにくい・・・。

●第2番ハ短調
《前奏曲》
非常にロマンチックな曲で、どこか、ベートーヴェンの「熱情」3楽章の主題をを思わせるような、暗くエネルギッシュな情熱をはらんでいます。バッハの表現力はベートーヴェンを越えて、メンデルスゾーンやシューマンにまで影響しましたが、この曲ではそれが良く理解できます。

《フーガ》
前奏曲のテーマがリズム的に処理され、フーガのテーマとなっています。このリズムは、バッハお得意のもので、このリズムが全曲を支配し、曲に独特の躍動感を与えています。

●第5番ニ長調
《前奏曲》
速く弾けばツェルニーのようになってしまいかねませんが、若干テンポを押さえ目にして、軽いタッチで弾けば、大変優雅な美しさに満ちた曲になります。右手が無窮動的に動きますが、きちんとしたフレーズ感があり、表現によっては様々な可能性が作れます。

《フーガ》
明るく堂々としたフーガで、対位法的に込み入った仕組みではなく、むしろ和声的で豪快な感じがします。私は、最後の数小節でペダルを使い、音もオクターヴで重ねて弾きましたが、そのような処理を許す曲ではないかと思います。

●第8番変ホ短調
《前奏曲》
極めておだやかで平穏な世界が表出されている、集中の傑作或いはバッハの全作品の中でも最高の部類に数えられる曲です。悲しみや苦しみを超越した、「諦観」と云って良いような境地だと思います。モーツァルト(例えばピアノ協奏曲23番の第2楽章)やベートーヴェン(例えばピアノソナタ第31番 第3楽章)も、時折このような静かな世界を見せてくれます。私は、この曲を聞くと、実朝の短歌「箱根路をわが越え来れば伊豆の海や、沖の小島に波の寄る見ゆ」を思い出します。観念上の「小島」への憧憬と、それが与えてくれる《安らぎ》が、この曲のおだやかさ、平穏さに一致すると感じるからです。

《フーガ》
前奏曲と同じように、のどかで幾分ノスタルジックな感じもする主題が、しかし、大変技巧的に複雑に展開します。この見事なフーガ技巧とのどやかで憧れを含んだ曲想の組み合わせは、素晴らしい出来映えで、バッハの能力の高さを如実に示しています。ただ、ピアノで弾くと伸びのある音符が充分には表現できず、オルガンで弾きたいような曲です。

●第12番ヘ短調
《前奏曲》
深い憂愁に満ちた前奏曲です。インヴェンションもそうですが、バッハのヘ短調には、人間の救いを求めるうめきのような深い感動が秘められていることが多く、この調性感が(バッハを良く弾いたと思われる)ベートーヴェンやショパンに影響しているのではないか、と思われるふしがあります。なお、この前奏曲が「フリーデマンの為の小曲集」の最後に当たります。

《フーガ》
前奏曲の雰囲気を、そのまま持ち越したような深い悲しみのフーガです。曲がりくねった半音階的なテーマが、より一層深刻な感じを深めています。