ラヴェル

 

【ラヴェルについて】
Maurice Joseph Ravel(1875-1937)は、いわゆる「印象主義」の作曲家として、ドビュッシーとならんで評価されるフランスの作曲家です。ドビュッシーとは違って、ピアニスト系の作曲家ではありませんが、ピアノ曲に名曲が多く残され、近代フランスのピアノ音楽に大きなウェイトを占めています。自身では、あまりピアノの上手くないラヴェルが、「鏡」や「夜のギャスパール」などに定着されている独特の華やかなピアニズムをどのように編み出したのかは、大きな謎です。「弾かないで」、音符上から直接導き出すと云う作業が、却って、ピアノの伝統的なスタイルに縛られて独自のピアノ世界の創出が遅れたドビュッシーに先行して、「印象派」ピアニズムを作り上げる結果を導いたと思われます。
ただ、表面上のサウンドは大変良く似ていますが、幾分《八方破れ》的なドビュッシーの音楽とは異なって、ラヴェルのそれは良く知的にまとめられた、冷静な音楽であり、近代ヨーロッパ伝統音楽の職人と云った感を強く受けるものです。


【亡き王女のためのパヴァーヌ】
彼が学生時代に作ったピアノ曲で、ラヴェル自身は余り上出来の曲とは認めなかったようですが、その意に反して通俗的に大変有名になり、オーケストラ編曲もあって、ラヴェルの作品中もっとも知られたものの一つとなっています。彼のピアノ曲は殆ど全てがプロのピアニスト仕様であり、素人が簡単に弾いて楽しめる、いわゆるサロン風ピアノ曲は少ないのですが、その中で珍しく、素人にも手が出るピアノ曲として好まれているのではないかと思います。
なお、パヴァーヌと云うのはスペイン起源の遅い2拍子系の舞曲で、孔雀(Pavon)から連想されるとおりの優雅な宮廷舞曲です。フォーレの小品にも「パヴァーヌ」があり、この曲と出だしは良く似ています。ラヴェルはスペインとの混血(母親がバスク人)で、同じく若い頃に二台ピアノ用名作「ハバネラ形式の小品」を書いており、パヴァーヌと云うスペイン舞曲を選んだのも何か関係があるのかも知れません。


【ソナチネ】
ソナチネと云うのは、ソナチネ・アルバムなどで御存知の通りソナタの小さいものを指します。ただ、ソナチネ・アルバムなどは「練習曲」のイメージが強いのですが、ラヴェルのこの作品は練習曲と云う位相にある作品ではなく、非常にラヴェルらしい小粋な作品です。全楽章とも「印象派そのもの」と云うサウンドに染まっていますが、曲の作りは伝統的なソナタにきっちりと収まっており、ラヴェルが自ら編み出した印象派のイディオムを使って伝統的な「ソナチネ」を書こうとした意図が良く分かります。印象派のイディオムは、そのサウンドの目新しさに耳を奪われがちですが、根本的にヨーロッパ音楽の伝統と相反するものではなく、ある部分で折り合いがつけることが可能だと事なのです。

《指使いについて》
この曲で、ラヴェルは大変弾きにくい手の配置を指示しています。これをどのように解釈するかは難問です。例えば、第1楽章の冒頭などは下のように弾いた方がずっと弾きやすいと思います:

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一般に、ピアノの達者な作曲家(ショパンやドビュッシーなど)の指示した運指や手の配置などは、誰が見ても納得できるもので、実際にそのように弾く方がずっと弾きやすいものです。しかし、ラヴェルのようにかなり高度なピアニズムを、自らの指からではなく《観念的に紡ぎだした》作曲家のものは、「観念的には」理解できますが、現実に実行しようとすると抵抗の多い場合があります。これをどう解釈して行くかは演奏者自身の問題です。結果的に同じサウンドが出るのであれば、何も楽譜に書かれた通りの運指で弾かなければならない理由はどこにも見あたりません。ドビュッシーが彼の「12の練習曲」に運指を付けなかった理由はそこにあるような気もします(序文にある、神童モーツァルトが指が足らなくなって、鼻で鍵盤を押した、と云う逸話は揶揄的にそこを指しているのではないかと考えられます)。逆に、ラヴェルのような作曲家に、その理想的なサウンドは指示された指で弾かなければ決して実現できないものである、と云われればそれも正しいような気がします。この問題の結論はあえて出しません。一人一人が「自分の見識」として、この問題に対する答えを見いだして下さい。