純正律と平均律

 

【はじめに】

ピアノは(オルガンなども同じですが)、他の弦楽器や管楽器と異なって、出てくる音の高さに関しては演奏者が関与できません。事前に(調律師によって)どのような調律がなされているかによって演奏時の音律は固定されてしまうからです。せいぜい、調律時に立ち会って、色々な注文を出すくらいですが、それも『音律』よりも『タッチ』調整への要求が先に立って、ピッチ配分そのものへの注文を付けることは大変希のようです。

アコースティック・ピアノの場合、音律を自分で調整するのは、作業自体が大変ですから、専門の技術者任せになるのはやむを得ない、と考えられますが、しかし、ピアノ以外の楽器では殆どが音律は演奏者の責任で決められている訳ですから、ピアノに限って(自分の演奏の骨組みである)音律そのものに全く無責任と云うのも、若干不安が残ります。実際に、12等分の平均律によるピアノだけで育った人の中には、#とbとの違いを意に介さない(単なる模様の違いとしか考えない)人もあって、この不安が的中したりする場合があります。

鍵盤楽器の調律に関しては、立派な研究や解説が充分出まわっていますが、従来、この手の解説は文面からだけの理解に委ねられていたために、読んでも『分かったような分からないような』結果に終わることが多かったように思います。しかし、インターネットで使用されるHTMLのような媒体を使うと、文字と音とを同時に使用できるために、少しは分かりやすく説明できるのではないかと思い、それを試みてみようと考えました。

途中で、音声ファイルを呼び出し音を聞く事が出来るようにしています。これはMP3形式に圧縮し、音質もギリギリ落としてサイズを小さくするように心がけましたが、それでも、なお接続速度によってはダウンロードに要する時間がストレスとなるかもしれません。そんな場合は、一旦MP3ファイルだけを右クリックでダウンロード&保存しておくと素早く聞くことが出来ます。

 

(1)1オクターヴ12個の鍵盤では足らない

(1-1)長3度を3回重ねれば?
例えば、次のようにCから順番に長3度を3回積み重ねたとします。

最後のHis音は、ピアノの鍵盤ではCに一致しなければなりません。

(1-2)完全5度を12回重ねれば?
同じく、次のようにFから完全5度を12回重ねたとします。

やはり、最後のEis音はピアノの鍵盤上ではFに一致しなければなりません。

しかし、実際には双方とも各々FとCには一致しません。従って、正確な音程が必要な場合は、新しく鍵盤を追加しなければなりません。つまり、HisやEisをCやFで代用する事は出来ず、別途に鍵盤上に用意してやる必要があるのです。

(2)純正音程

上の例で、HisとC、及びEisとFが何故一致しないのかを理解するためには『正確な音程(純正な音程)とは何か』を知っておく必要があります。

純正な音程とは、基本的に自然倍音の系列から導かれるものを指します。例えばC音に含まれる自然倍音系列を楽譜に書きますと次のようになります。

この倍音列は実際に耳で確かめることが出来ます。ピアノの低いCを強く叩いた後に耳を澄まして下さい。音が弱まるにつれて、基音であるCの音の他に、楽譜にあるようないくつもの音がかすかに響いてくるのが分かります。具体的には叩いたC音に該当するピアノの弦目一杯の長さ(これを基音と呼びます)の他に、1/2、1/3、1/4・・の長さの振動が加わっていると考えられます。つまり、振動数で云えば、各々2倍、3倍、4倍、の音が加わっているわけです。これらを部分音とか倍音とかと呼んでいます。

これで見ると、1オクターヴは振動数の比が1:2、完全五度は2:3、完全4度は3:4、長3度は4:5、短3度が5:6となります。基本的にこの振動数比の音程を純正な音程と呼んでいます。さて、ここから、例えばC音の振動数を1として純正長3度を重ねるとどうなるかを見てみましょう。

C=1
E=1×(5/4)
Gis=1×(5/4)×(5/4)
His=1×(5/4)×(5/4)×(5/4)=125/64

ところで、倍音列表から行くと1オクターヴ上のCは振動数が2でなければなりません。長3度を3回積み上げた結果のHisは125/64ですから、2よりは若干小さく、従って上記の方法(純正長3度の積み上げ)によって得られるHisはCよりも若干低い音になるのです。

完全5度を積み上げた結果も同様で、今度はEisはFを若干行き越してしまい、少し高い音になってしまいます。要するに純正の3度や5度を幾ら繰り返しても出発点にはもどれないのです。これが鍵盤楽器の調律を大変複雑で分かりにくくしている元凶です。

(3)純正律

純正音程を組み合わせて、音階を作ることが出来ます。このようなものを純正律と呼んでいます。

(3-1)ピタゴラス音階
ピタゴラスは純正の完全5度(とオクターヴ)を組み合わせて半音を含む音階が出来ることを示したと云われています(ピタゴラス自身の著述が残存しているわけではありませんが)。無論、ピタゴラスの時代は現在のような鍵盤楽器があったわけではありませんから、テトラコードと呼ばれる4弦の琴、又はこれを2個組み合わせた8弦のものに対する調律(弦)として研究されたものです。

例えば、F音から始めて完全5度上がり完全4度下がる(完全4度下がるのは完全5度上がって1オクターヴ下がるのと同じ:邦楽で云うところの「順八逆六の法」)を7回繰り返すとF→C→G→D→A→E→Hとなりハ長調の幹音が揃います。

この方法は(後に説明しますが)、半音の幅がかなり狭く、且つ長3度がかなり広いと云う欠点があります。ただ、『狭い半音』は旋律を歌う場合の『導音』的音程として心地の良いもので、この為に充分実用に向く音階として認知されています。参考にこの方式で作った、ハ長調の音階でCを1とした場合の振動数比を示します。

音名 C’
振動数比 1 9/8 81/64 4/3 3/2 27/16 243/128 2

(3-2)ツァルリーノ音階
ピタゴラスの音階は後にアリストクセネス一派によって改良研究され、『広い3度』の欠陥が取り除かれましたが、これらの結果を16世紀半ばに、ヴェニスの楽長であるツァルリーノが部分的に修正し整備しました。このツァルリーノの音階は(2)で示した自然倍音列に一致する為に自然倍音列音階とも呼ばれています。純正な音程を多く含み和声的に良く調和する音が揃っているために、純正律と云うとこの音階を指す場合もあるようです。参考までに、ピタゴラス音階と同様の表を掲げます。

音名 C’
振動数比 1 9/8 5/4 4/3 3/2 5/3 15/8 2

ピタゴラスと比べると、C:E、F:A、G:H、等の長3度は4:5の純正、E:G、A:C’の短3度も5:6の純正音程で美しく澄んだ響きを出します。この違いをもたらした原因は、全音に2種類のものを導入したことです。C:D、F:G、A:H、は振動数比が9/8ですが、D:E、G:A、は振動数比が10/9となっていて、後者は前者に比べて若干狭い全音と云うことになります。これを大全音、小全音、と呼んで区別します。

(4)純正律聞き比べ

ここで、2種の純正律を聞き比べてみましょう。(マークをクリックすると、音が聞こえます)

先ず音階です。

●ピタゴラス音階
ミとシが若干高く感じられるかも知れませんが、大きな違和感はないはずです。却って『旋律として』聞く場合は高いシ(つまり狭いシ・ド間)は逆に心地よいと思われます。

●ツアルリーノ音階
12等分の現代平均律で調律されたピアノを聞き慣れた人には大変違和感があると思います。特にラが異常に低い、及びミ、シが低い、と感じられる筈です。実はファ・ラ間が純正の長3度になるためには、ラはこの高さでなければならないのです。このように、一般に純正律の代表とされるツアルリーノ音階は、実は『旋律としては』若干音痴の音階です。

次に和声体で聞いてみましょう。

●ピタゴラス和音
12等分平均律の3度に馴染んだ人は、ひょっとしてこの程度の3度の濁りに慣れっこになっているかも知れませんが、次のツァルリーノ和声を聞けば違いは歴然とします。

●ツアルリーノ和音
どうでしょう、良く澄んだ和音ですね。実際この純正律は『美しい和音』の為にあると云うことが充分納得できます。

ズレの大きい音程

(1)で示した如く、純正音程ばかりでは1オクターヴ12個の鍵盤に収めることが出来ません。これを無理に収めようとすれば、どこかにこのしわ寄せが来て、その部分に大きくズレた不協和な部分が出来ます。この使用不能の音程を、狼の唸り声になぞらえて『ウルフ音』と称してきました。

●ピタゴラス音階でのズレ音程

最初に示した如く、完全5度を12回重ねても元の出発点には戻らず、かなり高いところにズレこみます。このズレを『ピタゴラス・コンマ』と称しています。もし、調律の開始音をEs音にとったとして、Es→B→F→C→G→D→A→E→H→Fis→Cis→Gis→Disと純正完全5度に合わせようと試みたとします。しかし、最後のDisは異名同音的に最初のEs鍵盤で代用するほかありません。この場合、Gis→Es(Dis)部分は濁りすぎて使えません。本来Gis音と完全5度を形成するDis音はEs音よりかなり高く設定しなければならないものを、Es音で代用してしまった為に、かなり狭い疑似完全5度(正確に言えば減6度)になってしまったのです。

●ツァルリーノ音階でのズレ音程

この音階の最大の難点は『ラ』です。ファとの対で長3度を作るときには申し分ない純正な音程ですが、レと対になって作る完全5度は濁りすぎて使えません。この原因は『大全音』と『小全音』にあります。(3-2)で示したとおり、この音階では完全5度は、大全音2個と小全音及び半音(全音階的半音)1個から成り立っています(9/8×9/10×16/15×9/8=4/3)。しかし、レ→ラでは小全音2個+大全音1個+半音1個となり、大全音と小全音の差1個分が狭いのです。この差を『シントニック・コンマ』と称しています。
この濁ったレ・ラの完全5度が存在するために、この純正律では、ドミソ、ファラド、ソシレ、の主要三和音は実に澄んだ美しい響きですが、レ・ラを含んだ和音、例えばレファラは使えないのです。なお、この他、レ・ファでつくる短3度もシントニック・コンマの差だけ狭く、やはり若干濁った音程になります。

(5)音程の数え方

次に平均律の説明に入る前に、音程の数え方について若干説明します。

(5-1)度数
これは、音楽的には馴染みの数え方なのであらためて説明するまでもないと思います。長3度、完全4度、等と数える方法です。ただし、これは一種の観念的な数え方ですから、現実の長3度が若干狭かったり広かったりしても、その微少な違いを正確に表現することは出来ません。又、西暦年号や数え年勘定のように1から始まりますので、0度と云う概念は存在しません。

(5-2)振動数
音の高さは振動数で決まりますから、絶対音高を指定するだけならこの方法が最も適しています。この用途には、一般に1秒間の振動数を表すヘルツ(Hz)を用います。しかし、音程という2音間の幅を表すには、少し無理が生じます。例えば100Hzの音に対してこの完全5度上の音は150Hzです。これに対し200Hzの音に対して完全5度上の音は300Hzとなります。要するに音程は相対的なもので、2音の振動数の比がそれに対応する量となります。前者の振動数の差は50Hz、後者は100Hzで算術上の差は異なりますが、音程(つまり比の値)としては両者同じ(3/2)なのです。なお、ここまでの説明では、音程は全てこの振動数の比で表現しています。

(5-3)対数表現
音程が振動数の比で表されるとすれば、対数表現がなにかにつけて便利と云うことになります。この理由は:

対数はかけ算わり算を、足し算引き算に変えてくれることです。わり算(比)で表現される音程どうしの演算は、このままだとやはりかけ算わり算のままでなければなりません。例えば、完全五度とその上に完全4度を加えた音程は何であるか、と云う計算は(ピアノに馴染んだ人ならば鍵盤図を思い浮かべて即座に完全8度、と答えが出るでしょうが)、完全5度(3/2)と完全4度(4/3)を加えても出ません。答えは(3/2)×(4/3)=2/1、でかけ算を使う必要があります。対数表現を使えばこれを単なる足し算ですませられます。

さて、この目的で音程に対し次のような単位を定義します:

音高の差=K*log(高い方の振動数/低い方の振動数)

Kは定数で、この定め方によって幾種類かの単位がありますが、現在、この目的でよく使われる単位は次のようになります:

●セント(K=1200/log2)
1オクターヴの振動数の比は(2/1)ですから、これをセント表現にあてはめれば:
1オクターヴ=(1200/log2)×log2(2/1)=1200、です。

●サヴァール(K=1000)
これもセントと同巧異趣ですが、セントがlog2という複雑な小数を打ち消すために定数Kに(1/log2)を埋め込んだのに対し、こちらは裸のままlog2が残ってしまうと云うことです。しかし、log2=0.30103・・と云う数字ですから、K=1000とした場合の1オクターヴは300にごく近い数値となります。従って、セント:1オクターヴ=1200、に対しサヴァールはその1/4の1オクターヴ=300、と見なして良いでしょう。

●センチ・オクターヴ(K=100)
これは合理的な決め方ですが、現在は余り使われません。それぞれの音程が妙に複雑な小数になってしまうからです。

(6)平均律

通常の鍵盤楽器は演奏の便宜の為に、1オクターヴを12個の鍵盤に割り当てます。従って、上記の異名同音的な差異を何とか斟酌して例えばHisとCの音を1個の鍵盤で共有するように工夫する必要が生じます。この工夫を平均律と呼んでいます。純正律では、純正な音程に固執する余り、その他の音程にひどいしわ寄せが来て、全く使えない部分が生じました。この全く使えない部分をなるべく少なくしたい、そのためには純正な音程が若干は犠牲になっても良い、と云う考えです。つまり、純正な音程を若干犠牲にして、演奏の便宜性に譲るのです。

この平均律には大きく分けて2種類があります。一つは等分平均律と呼ばれ、どの音も等しい分量だけ斟酌を被るもの、今一つは不等分平均律で、音によって斟酌のされ方が異なり、或るものは純正に近く、或るものはかなり大きくはずれ、という風に音程を割り当てるものです。

(6-1)等分平均律
これは、一般には12等分平均律を指し現在のピアノは基本的に全てこの方式で調律されます。1オクターヴを12等分するために、半音の幅は全て同じ1種類しかなくその比の値は『(2)^(1/12)〜つまり2の12乗根』と云う値になります。従って(5)で示したセント表現でこの音階を示すと、非常に明快な数値がならびます。要するに半音を100として並ぶだけです。それ故に、#とbの区別も全くありません。CisはDesと全く同じものですし、同様にHisはCと同じです。

音名 C’
セント 0 200 400 500 700 900 1100 1200

この12等分平均律とセント表現の組み合わせには、落とし穴があります。次に純正律(ツァルリーノ音階)と平均律とをセントで比較してみましょう。

音名 C’
平均律 0 200 400 500 700 900 1100 1200
純正律 0 204 386.4 498 702 884.4 1088.4 1200
0 -4 +13.6 +2 -2 +15.6 +11.6 0

こうして見ると、如何にも平均律が基準で純正律がそこからズレているような印象を受けてしまいます。理由は如何にも平均律のセント表現が半端なしのきれいな数値にまとまっているように見えるからです。しかし、実はセント表現はlog2と云うややこしい小数を打ち消すために予めlog2で割ってきれいに整えてあるに過ぎません。逆に、この為に純正律のセント値がややこしい半端な数値を伴っているように見えるのです。ズレているのは平均律のほうであって、下段の『差』は『純正律からの』ズレであることを勘違いしてはなりません。この点では、(3)で示した分数表現のほうが直感的には分かりやすいのです。

とにかく、この12等分平均律はオクターヴ以外はどの音も正しい音程ではありません。完全5、4度は比較的純正に近いですが、その他の音程はことごとくズレています。特に3度はかなり大きくズレます。従って、美しく澄んだ和音と云う意味では12等分平均律に調律されたピアノは役に立ちません。合唱などで、ピアノの音を参考に音程を確かめるなどはとんでもない話なのです。通常ピアノに馴染んでいる人が、たまに弦楽合奏や、特に金管合奏の和音に接して『ハッ』と我に帰るのは、この純正と平均律のギャップに気がついた時です。

無論、音楽の要素は和音の美しさばかりではありませんし、逆にこの要素を過大に評価してしまうと、音楽そのものを正しく評価できない方向に陥ってしまいますが、前提として『平均律ピアノの和音は信用できない』と云う理解は必要かと思います。

 

(6-2)不等分平均律
バッハ以降19世紀まで基本的に使われてきた調律方法で、斟酌の方法によって色々な種類があります。12等分平均律との違いは、1オクターヴをエイヤッと12等分するのではなくて、どこかの音程を純正に保つ努力が残っている、と云う点であると考えられます。ここでは代表的な『中全音律』と『ヴェルクマイスター第3法』について簡単に説明します。

(6-2-1)中全音律
この調律方法は3度を何とか純正に保ちたいと云う要求から来ています。16世紀の後半にフランシス・サリナスによって整理された方法に依れば:

《F音と2オクターヴと長3度上のA音に含まれる4つの完全5度(F・C、C・G、G・D、D・A)を各々若干縮めてFとAが純正長3度に収まるよう斟酌します。》

セントで計算すると、2オクターヴ(2400c)+純正長3度(386.314c)を4等分するわけですから、この方法によって得られる斟酌された完全五度は696.58cになります。これは純正の完全五度よりも約5.6c狭いものとなります。この5度を用いて順八逆六法(3-1参照)によって音階を得ることが出来ます。これは以下のようなものです:

音名 C’
平均律 0 193.2 386.4 503.6 696.4 889.6 1082.8 1200
純正律 0 204 386.4 498 702 884.4 1088.4 1200
0 -10.8 0 +5.6 -5.6 +5.2 -5.4 0

この表を見る限りは、D音の誤差が若干大きいですが、そのほかは12等分平均律にくらべて随分小さな誤差に保たれています。特に重要な3度音は純正です。先の12等分平均律の表をもう一度掲げます:

《12等分平均律》

音名 C’
平均律 0 200 400 500 700 900 1100 1200
純正律 0 204 386.4 498 702 884.4 1088.4 1200
0 -4 +13.6 +2 -2 +15.6 +11.6 0

純正を緑、10c未満のズレを黄色、10c以上ずれているものを赤、で示しています。

この方法による調律の結果をよく見てみると、C・D間もD・E間も193.2cであり、ツァルリーノ音階にあった、大全音と小全音の区別がなくなっていることが分かります。それは丁度大全音と小全音の中間値になっているために『中全音律〜Mean Tone System』と呼ばれているのです。

(6-2-2)中全音律の評価
●中全音律と12等分平均律を比較して聞いてみましょう

先に中全音律でのカデンツ、次に続けて12等分平均律でのカデンツがなります。

聴感上の評価は、聞かれた人それぞれにあると思います。私の判断では、中全音律の方が良く澄んでいて、且つ『弾きやすい』と感じます。この、『弾きやすい』と云うのは、12等分平均律では、3度の濁りをなるべくカモフラージュするために、和音の第3音は大きくなりすぎないように大変神経を使います。しかし、この音律で弾くと、苦労せずに美しい和音が鳴り、特に2個目の和音の右手のような形で楽に澄んだ和音が弾けるようです。和音奏の美しさは、ピアノの場合、各音に適切な強さを配分するという演奏技術に関連してきますが、濁り気味の12等分平均律の場合、ここに必要以上の努力を要求するのかも知れません。

中全音律でのウルフ音
中全音律は、しかし、強烈なウルフ音を発します。例えば、先の斟酌された完全5度を使ってFから:

F→C→G→D→A→E→H→Fis→Cis→Gis

と音を作ったとしましょう、これでハ長調からイ長調(#3個)までが弾けます。ヘ長調、変ロ長調(b2個)を弾くためにはFから下向きに、同じ斟酌された5度を使って:

F→B→Es

と音を作ります。これで12個の音が出揃った訳ですが、例えば、ホ長調(#4個)を弾こうとすればDisの代わりにEsを使わなければなりません。しかし、これは40c以上ずれていて、とても使用に耐えません。この原因は完全5度を狭めすぎている事に起因します。ピタゴラス・コンマは約24セントですから2セントず狭めた5度を12回繰り返せば、ピタリともとに戻ります(これが12等分平均律です)、しかし、中全音律では3度を純正に保つために5セント以上5度を狭めていることになります。これを12回繰り返せば60セント以上縮まってしまうと云うわけです。

●中全音律でのホ長調カデンツを聞いてみる

同じ事は、変ホ長調(b3個)を弾こうとする場合にも起きます。

●中全音律での変ホ長調カデンツを聞いてみる

要するに、この調律は厳格に#とbとを区別し異名同音を区別します。従って12個の鍵盤では、或る限られた調性では素晴らしく美しい和音を聞かせてくれますが、ここからはずれると調律の中心点を変換して、必要な異名同音を出現させてやらなければ演奏不可能なのです。この『限られた調性』とは変ロ長調、ヘ長調、ハ長調、ト長調、ニ長調、イ長調、及びイ短調、ニ短調、ト短調、の9種類です。

バッハの教会オルガン用作品の多くは、この調性に収まるように書かれています。これは、当時のオルガンの多くがこの中全音律で調律されていたことを物語っています。チェンバロなどと異なって、パイプオルガンは調律の変換が大変困難であるし、又、持続音故に和音の濁りを嫌う結果、使用可能な調性の数を犠牲にしても、より澄んだ和音を必要としたからでしょう。

 

(6-2-3)ヴェルクマイスター第3法

ヴェルクマイスターはバッハより1世代前のオルガン奏者ですが、調律法に興味を持って研究を行い、1691年に『Musicaliche Temperatur』を著し、今日に通ずる調律方法を発表しました。この基本は、或る部分は斟酌された(狭められた)5度を使い、或る部分は純正な5度を用いて音を作って行くと云う方法です。この手法の基本は、キルンベルガーや、ヴァロッティ&ヤング、等の調律法も同じで、要するにどの部分に、どれだけ斟酌された5度を用いるかと云う違いがあるだけです。

ヴェルクマイスター第3法と呼ばれる方法はC→G→D→Aの3種の5度を6セント狭め、H→Fisも6セント狭めます。これで合計6c×4=24cとなりピタゴラス・コンマを解消するわけです。

この方法で作ったハ長調の音階を見てみましょう。

音名 C’
ヴェルクマイスター 0 192 390 498 696 888 1.092 1200
純正律 0 204 386.4 498 702 884.4 1088.4 1200
純正律との差 0 -12 +3.6 0 -6 +3.4 +3.6 0

2度音以外は、かなり純正に近く、一見して美しい澄んだ和音を奏でられる調律であることが分かります。

同じくこの方法で作った変ニ長調の音階を見てみましょう(純正律と比較する為にDesを主音として平行移動させています)

音名 Des Es F Ges As B C Des’
ヴェルクマイスター 0 204 408 498 702 906 1.110 1200
純正律 0 204 386.4 498 702 884.4 1088.4 1200
純正律との差 0 0 +21.6 0 0 +21.6 +21.6 0

興味深い結果ですね。3度、6度などが大きくズレていて、後はピタリと純正なのです。広い3度と狭い半音、実はこれはピタゴラス純正律と同じ特徴を著しています。3度はかなり濁りますが、しかし5度が純正のために使えないウルフ音と云う程ではありません。逆に導音の狭い『旋律に適した』音律と云えなくもないでしょう。

 

(6-2-4)ヴェルクマイスター第3法の評価

この種の不等分平均律の特徴は、何と云っても全ての調性が演奏可能なこと、及び、調性によって音律が異なるために、調性毎に微妙なテイストの違いが生じることです。

●ハ長調と変ニ長調を聞き比べる

最初にハ長調の和音、次に変ニ長調の和音が鳴ります。聞き比べると、明らかに変ニ長調は(3度のズレの為に)和音が濁ります。この濁りはbの多い変イ長調、変ニ長調、変ト長調、などで生じ、逆にハ長調、ヘ長調、ト長調、等は純正或いは中全音律に近い良く澄んだ和音が響きます。

この事が具体的に、実際の音楽に影響するかどうかは色々な考えがあって一概には云えません。しかし、例えば、変ト長調の『濁り』がショパンの『黒鍵のエチュード』で、特有のきらびやかな響きに貢献していることは云えるかも知れません。これをト長調の良く澄んだ響きで演奏するよりは変ト長調のほうがより良く曲想にマッチする(実際に演奏しやすいかどうかは別問題です。多分ト長調ではこの曲は数倍も難しくなると思われます)と云うことは出来るかと思います。少なくとも、ショパンがこの変ト長調の『濁り』を上手く逆手にとった、とは云えるかも知れません。

バッハ以降19世紀の中頃まではずっとこの種の不等分平均律が使われていたようです。そこで、この事が昔からよく言われる『調性による表情の違い』の根拠とされる場合があります。無論、鍵盤楽器で演奏されることを前提にして始めて調律の問題が出てくるわけですが、バッハ、ヘンデル、ベートーヴェン、ショパン・・皆鍵盤楽器の名手でしたから、たとえ非鍵盤楽曲を作曲する場合でさえも、そのクセが取れなかったのではないか・・と云うわけです。

(7)調性による表情の違いについて

最後に、ヴェルクマイスターの項で少し触れた調性論と調律法の連関について私の考えを書いておこうと思います。

確かに、昔からある調性が一定の気分や表情に対応していると云う、半ば迷信めいた議論はあるようです。古代ギリシャの旋法は、それぞれに異なった精神状態に対応するように云われてきました。近代音楽に関しても、H.ライヒテントリットはバッハとヘンデル(特にヘンデルに関して)調性毎に特別の思い入れがあって、それを元に楽曲の転調設計を組み立てたのだと云うようなことを長々と書いています(「音楽の歴史と思想」第7章)。又、ベートーヴェンのハ短調と云えばピアノソナタ5番、8番(悲愴)、32番、交響曲5番(運命)、ピアノ協奏曲3番・・と、何か共通の雰囲気を持っていることも確かです。

しかし、このことを、《近代の作曲家が『不等分平均律』による調性毎の和音の響きの微妙な違いを、子供の頃から鍵盤楽器上で聞き続けた一種のトラウマ》のように解釈してしまうのには、若干の抵抗があります。バッハが『うまく調律されたクラヴィアの為に』と題して、全調にまたがる前奏曲とフーガを書いた背景には、『自由な転調』に対する強い要求があったように思われます。しかし、この《自由な転調》の目的は、新しい調性に於ける《和音の響きの違い》を味わうと云うような感覚的なものよりも、原調から離反して行くことによって起きる、新調と原調との一種の《ダイナミックな緊張関係》を目的とする場合の方が多いと考えます。

原調に対して、どの調がどのような関係を迫るか、と云うような問題に関して独特の鋭い感覚を示した代表としてシェーンベルクが挙げられると思います。彼は独特の『region』と云う考え方をもって、ある一つの調に対して残りの23の調全てがそれぞれ独自の関係を結びつつ一つにまとまっている、と云うような、いわば『調性』の多次元位相空間モデルを提示してくれた理論家です。そして、彼はそのような調性ダイナミズム感覚を持つ作曲家の一人としてブラームスを挙げ、その感覚を愛でています(「和声の構造的諸機能」〜第10章)。

私は、西洋近代音楽の調性を考えるときに、やはり、この入り組んだ調性間に生ずる『力学的構築』の美しさを見逃してはならないと考えています。フーガに於いて、『主題』に対する『応答』は5度上の調でなされるのが原則です。又、ソナタ形式でも、第2主題は原則として5度上で提示されます。これらは、『5度上の調性』の和音の響きを目的とするのではなく、原調との力学的緊張関係を目的としています。この緊張関係は、より自由な転調を手にすることによって、ブラームスのように、もっと精緻な美しさとして仕上がって行くことが可能だった訳です。このような《調性空間》を鍵盤楽器上でも手にしたい、と云う欲求がヨーロッパ近代音楽の底流としてあったことは確かでしょう。

結局のところ、鍵盤楽器の調律法の変遷は、『美しい和音』を求めながら、なおかつ『自由な転調』を目指す、いわば内部に相反する契機を抱えつつ、これを原動力に発展していった軌跡のようにみえるのです。それ故に、現在行き着いた12等分平均律は、その濁りの多い和音故に、非鍵盤演奏家の顰蹙をかうことが多いのですが、それでも、やはり、一つの到達点として積極的な評価がなされるべきものであると考えています。