楽曲練習の手順

【はじめに】
ピアノの練習がある程度進んでくると、自分なりの練習手順と云うものが出来上がって、「どのような順序で練習して行くか」はある程度決まっています。しかし、初級の間はその「練習手順」そのものが確立せず、何から手を付けるか結構右往左往していまいます。そこで、ここでは、ある楽曲を特定し、実際の練習手順について説明します。無論、中級以上で「自分の練習手順」が既に確定している方は、それに従って下さい。課題に取り上げる曲目は「ブルグミュラー:25のやさしい練習曲」より第13曲”なぐさめ〜Consolation”です。

(1)練習を始める前に

 [楽譜]
当たり前の事ですが、楽譜を手に入れなければなりません。対象曲にもよりますが、出来れば複数の版を準備する方が良いと思います。今回のブルグミュラーは、どの版でもほぼ確定していますので、一種類でも構いません。ただ一般的には、中級以上になって、たとえばショパンを弾く場合大体の方はヘンレ版とパデレフスキー版の2種類は揃えています。或いは、バッハは版によって大変異なりますので、複数揃える方が良いと思います。インヴェンションなどでも、版(編集者)によってテンポやフレージングなどの指示がかなり異なります。

一種類の版しか見ないと、どうしても楽譜が「絶対的」になって、楽譜にかじりついて弾くと云うクセが出来てしまいます。練習の最終目的は、「自分なりの解釈・表現」を確定することですから、これは拙いわけです。1種類しか使わない場合でも、楽譜の編集者に注意を払うクセはつけておきましょう。最近の楽譜は、何を底本にしたとか、どのように編集したとかの説明が付いていることが多いですから、かならず読んで、「批判的に」楽譜を見ることを忘れないで下さい。

出版された楽譜でも、作曲著作権と同じで、ある年月が経つとそれに対する版面権は消失し、コピーも可能になります。クラシック音楽にはそのような楽譜がたくさん存在し(特にペータースやブライトコップフ&ヘルテルなどの古い版)、ネット上で無料で手に入ったりしますから、これらを有効に利用するのも良いと思います。

[参考演奏]
練習する前に参考演奏を聞いた方が良いとか、先入観を持つので聞かない方が良い、とか色々な意見があります。私は、どちらが良いとも悪いとも思いません。ただ、全ての曲について、予め誰かの模範演奏を聞かなければ弾けないと云うのも困ります。場合によっては、楽譜だけから自分自身の解釈・表現をつくり、その後に他人の演奏を聞くと、とても参考になって目からウロコの経験をすることがあります。この経験は大事で、上達の大きな契機ですから、見逃すのはもったいないことです。上手に他人演奏を参考にすることが重要なのです。

 

(2)練習の実際
曲は、ブルグミュラー:「25のやさしい練習曲 作品100」から第13曲”なぐさめ”です。「楽譜」と「参考演奏」はライブラリ2にありますので、楽譜のない方はそれをプリント・アウトして下さい。全曲を私が弾いた動画を準備しています。必要に応じて、それを見ながら(聞きながら)以下の説明を読んで下さい。

動画の形式はリアル・ビデオ(rm)形式です。リアルプレーヤをインストールしてからご覧下さい。4MB弱のサイズがありますので、接続速度の遅い方は、先に保存しておかれることをお奨めします。

 

[2-1]譜読み

先ず、「譜読み」と呼んでいる作業から入ります。この目的はつぎの3つです。

・指使いの確定
・難しい場所の特定
・段落(全体の構成)の確認

慣れてくれば、この3つは殆ど同時に出来て、1〜2回ざっと通して(ゆっくりしたテンポで)弾くことで、この作業を終えることもできます。ただ、初心者の間は、やや時間がかかります。この内容を次に説明します。

[2−1−1]指使いの確定

この曲を弾くに当たって、私がちょっと引っかかって別の指使いを楽譜に書き込んだのは、2カ所あります:

多くの楽譜は、上部赤で示した右手を2-1-2-3としていますが、私は2-3-4-5とする方が弾きやすいのでこのようにしています。

この赤の部分も、4で指示してあることが多いですが、私は3でとります。

要するに、指使いは「自分が弾きやすいものが最適の指使い」なので、弾きにくいところがあればどんどん変更して楽譜に書き込みましょう。指使いを自分で考えることは練習の第一歩なのです。ただし、重要な事は、場当たりの運指は避けて、なるべく決まった運指で練習することです。1回毎に指使いが異なれば、なかなか「反復練習」の効果が上がりません。もっとも、もっと上達すればこの程度の曲はどのような指使いでも弾ける訳で、そのような場合に弾く度に異なった指使いになることはあり得ます。ただ、少なくとも「練習中」は「同じ指使い」で反復することが重要です。

《楽譜に記載された指使いについて》
多くの市販楽譜には指使いが記してあります。ただ、手の形や大きさは人それぞれですから、それを丸飲みにすることは出来ません。中級以降になると、却って楽譜に印刷してある指使いは邪魔で(つまり、後から鉛筆で自分の指使いを書き込むときのスペースがないので)、ない方が有り難いことがあります。私のHPの楽譜はそのつもりで、初級と考えられるものには、なるべく指使いをうつようにしていますが、逆に中級以降のものには、意図的に指を付していません。
ドビュッシーの「12の練習曲集」(もっとも、これは上級者用ですが)には、運指そのものがつけてありません。運指を考えること自体が「練習」だと云う意味なのです。そのことについて表紙にドビュッシー自身が何やらコメントを書いています(ドビュッシーが指使いを付けるのが邪魔くさかっただけかも知れませんが・・)。或いは、スクリアビンの作品も殆ど運指はつけてありません。バッハの作品も運指などはありません。
逆に、作曲者自身がつけた運指が、解釈・表現の助けになることは大いにあります。例えば、ショパン自身がつけたとされる、次の変ホ長調のノクターンにおける運指などは、大変示唆に富んでいます。しかし、かと云って実際にその運指で弾かなければならない理由は何もありません。

 

[2-1-2]難しそうな箇所の特定

譜読み段階では「ゆっくり」両手で弾くわけですが、「ン? ここは危ないぞ」と云った箇所がすぐに分かります。つまり、後で取りだして練習する必要のありそうなパッセージです。そこに、印を付けておきましょう。この曲では、以下の箇所が難しいのではないかと思います。

難しい箇所の克服については、実際の練習に入ってから説明します。

 

[2-1-3]段落の確認

演奏するに当たって、最も大事なことは、楽譜に記された音楽を正しい段落区切りで弾くことです。これについても、実際の練習に入ってから説明しますが、譜読みの段階でこの基本的な段落を読みとっておきます。多分、この段階では腑に落ちない部分もたくさん出てくる筈ですが、疑問は疑問として残しておいて、大まかな段落構成は読みとってしまいましょう。この練習曲は小曲ですので、複雑な段落構成は殆どないと思いますが、ソナチネなどは主題がどこで始まりどこで終わるかなど、迷うことも多々あります。フーガなどの多声部楽曲では、ひっくり返ったり拡大されたりした主題を見つけるのも大変です。
この曲に関して1頁目に私が大まかに段落記号を打ったものを下に示します。
BURG_13-1_DANRAKU.JPG - 59,710BYTES

[2-2]難しい箇所の克服法

難しい箇所に当たったときに、闇雲にハノンなどの指練習に戻る人がいます。弾けないのは、とにかく「指の鍛錬が足らないからである」と云う理屈からでしょうか・・。しかし、それは余りに短絡的な考えで、現在当面しているパッセージの中で、それを克服することで、逆にハノンなどからは得られないテクニックを身につけることが出来ます。指の鍛錬というのは、喩えて云えば、筋力トレーニングのような基礎体力を付けるものであって、筋力トレーニングだけでは野球でもサッカーでもゴルフでも、全然上達しないのと同じ理屈です。

[2-1-2]で示した箇所は、次のようにして練習します:

右手だけを取り出すと、下のような音型です。

これを次のように変形します:

ポイントは

●元の音を2音符でしっかり押さえる(小さい音符を弾いている間も離さない)
●指使いは元のものを変えない
●導音連打が出てきますが、必ず「指」で弾いて下さい。手首で弾いては効果が半減します。

左手も同様に変形して弾き、出来れば両手を合わせます。わざわざ楽譜に書き出す必要はなく、元の音型を見ながら即席でこの音型を作れますが、一応書き出してみました:

私が実際にこの音型を弾いている動画です:

この方法は、@指送りの順序、A鍵盤上の移動幅、を指に覚え込ませる手段としては大変有効で、色々な難しいパッセージに応用出来ます。コツは、元音に当たる音符をアクセントを付けて弾き、かつ次の小音符を反復している間、離さずに保持することです。
但し、大きな跳躍を含むパッセージには使えません。

 

[2-3]段落の表現

無理なく続けて弾けるようになれば、これを音楽の文法に従った段落に区切って演奏しなければなりません。この段落については、「レッスンルーム」の「ソナチネの練習方法」に書いていますが、分かりにくい方もおられると考え、角度をを少し変えて書き直してみます。

音楽の演奏を、文章の「朗読」に喩えるのが分かりやすいと思いますので、この比喩を使います。

「今日は、大変良い天気です。」

と云う文章を上手く朗読するには、先ず2種類の要素があります。一つは「発音」です。日本語の50音が正確に発音できることや、吃らずに滑らかに発音出来ること、が先ず第一条件です。演奏の場合はこれが「間違わずに、滑らかに弾ける」に相当します。今までの練習過程はこれを目標にしたわけです。

ところで、滑らかに間違わずに発音するだけでは意味が伝わるとは限りません。

(a)「キョウハヨイタイヘンヨイテンキデス」

全く段落区切りのない、この文では理解するのに少しヒマがかかるでしょう。

(b)「キョウハタ、イヘンヨ、イテン、キデス」

これは文法を無視した段落区切りをしていて、ほぼ理解不可能です。

(c)「キョウハ、タイヘン、ヨイ、テンキデス」

このように文法上正しい区切りをすれば、意味が分かりやすいのです。ただし、区切り方は一通りではありません。人によっては

(d)「キョウハ、タイヘンヨイテンキデス」

(e)「キョウハ、タイヘン、ヨイテンキデス」

などの区切り方をする場合もあるでしょう。しかし、どちらにしろ、(a)(b)は×、(c)(d)(e)は○(どれでも構わない)、と云うのが正しい判断であると思います。

音楽も全く同じで、一見すると音符がたくさん連なっているだけに見えても、実は、上のようなひとまとまりの文章が幾つも繋がって全体を構成しているわけです。この文章の段落区切りを間違うと、たとえ各音符が正しく発音されたとしても意味の通じない演奏になってしまいます。文章と同じく、区切り方には個性がありますが、しかし「文法」からはずれた区切り方をしては、意味が通じません。

この事を念頭に置いて、今一度[2-1-3]で示した私の段落区切りを見て下さい。スラッシュが段落を表していて、ちょうど文章の(、)や(。)に相当します。スラッシュが多ければ多いほど「大きい区切り」を表しています。

この段落はピアノ譜の場合スラーで読みとれる場合もありますが、スラーは本来「レガート」を示すもので、レガートではないパッセージにはつけない事の方が多いですから、必ずしも宛になるとは限りません。ネイティヴな言語の場合は子供の頃から培った無意識の文法が備わっていますから、ほぼ無意識に段落を区切れますが、音楽の場合はそうは行きません。常にこのことを意識して、正しい段落区切りで朗読出来ているかどうかを注意する必要があるのです。これは、外国語の会話を習うときに少し事情が似ています。

段落区切りは、朗読の場合と同じく基本的には「間」で表現します。この曲については、私の演奏を参考にして下さい。段落区切りのところで、微妙に「テンポの緩み」と「間」があることが分かると思います。この意味では、機械的なメトロノームに合わせて弾くなどは厳禁です。ハノンなどの基礎トレーニングを除いて、メトロノームは大体の速さを客観的にイメージするためにあるもので、「合わせて弾く」ものなどでは決してありません。

 

(3)表現テクニックのヒント

間違えずに発音でき、文法的に正しい区切りをのみこめば、この曲の練習の半分が終了です。後の半分は、文章で云えば「抑揚を付けて」、より正確に、より面白おかしく「朗読」出来るかに充てられます。しかし、この部分はそれこそ「個性」が発揮できて、個人が自由にアイデアを発揮できる場面で、外から色々と指図を受けるものではありません。

しかし、そうは云っても初級の間は様々な表現上のイディオムも手持ちが少なく、アイデアにも限りがあります。ここで、ひとつ、私の参考演奏を取り上げて説明します。

楽譜上赤で示した部分に注目して下さい。私の演奏では、右手が左手よりかなり遅れて入っています。これは、失敗したのではなくて、意図的にそう弾いています。つまり、ここの p を表現しようとしてこのような、タイミングのズラしを行っているのです。
ピアノは基本的には「打楽器」で、どんなに「弱く」弾いても常に「ゴツン」としたアタック音が頭につきます。管楽器や弦楽器のような「レガート」奏法は基本的に不可能なのです。しかし、この部分は p で、出来る限り「柔らかく」入りたい所です。管楽器なら、タンギングを使わずにそっと(つまり、TuではなくFuと)吹き始めるでしょうし、弦楽器ならば場合によっては「押し弓」から入ることも考えるでしょう。しかし、ピアノではかなりのアタックがありますので、これを減殺する為に、メロディ部分を「僅かに遅らせて」弾くことを試みています。
このような奏法は、タッチの余り効かなかったチェンバロにはよく使われたテクニックですが、ピアノに応用しても良い効果が生まれます。無論、タイミングがバラける事を嫌う人は、これを使う必要はないわけですし、わざとらしくてイヤだと云う方もおられるでしょう。その辺りは、個々人の個性で、文法と異なって、どのようにしなければならないと云う問題では、全くないわけですが、使う使わないは別にして、練習段階で様々な表現イディオムを獲得して行くのも「上達」の過程であると考える事が出来ます。恐れずに試みて見ることが大切かと思います。