ショパン作曲:ノクターン嬰ハ短調(遺作)
(ライブラリ5に掲載)

【全般】
《難易度》
この曲は、ショパンのノクターンの中で(ショパン自身はノクターンと云うジャンル名を一切使っていませんが)、技術的には最も平易な部類に属します。バイエルがきっちり終了していさえいれば、或いは、そうでなくても、ツェルニー30番に入る頃であれば、容易に弾きこなすことが出来ます。その意味では、純粋に技術的な問題は、余りないと云って構わないでしょう。しかし、ピアノで「歌う」と云う課題は易しくはありません。ピアノに限らず、音楽に於いて「歌う」事は最も基本的で重要な課題ですが、特にピアノは単純な「打撃音」で、歌うことには本来適していません。これを「歌わせる」ためには、様々な工夫が必要です。

《練習のポイント》
全体に、ショパンらしいセンチメンタルな旋律が右手で歌われます。演奏の出来不出来は、これを如何にうまく歌わせるかにかかっています。このためには:

●伴奏と旋律の『テンポのバランス』(間の取り方)

が最も大切で、かつ難しいところです。ショパンの、特にこのような「歌う」曲では、旋律(右手)は、伴奏(左手)に比べてかなり自由に動き、右手と左手とではかなりテンポの『ズレ』が生じます。決して、楽譜通り右手と左手が縦に一致するわけではないのです。これが、ショパン独特の「テンポ・ルバート」の表現技巧の中心をなすものです。練習のポイントとして、このことを念頭に置きましょう。

《楽譜について》
この曲は、ショパンの死後(1875年)に出版されたものであり、ショパン自身の校正はなされていません。又、初稿が長らく行方不明になっていた経緯もあって、現在、様々な異稿が存在します。ヘンレ版、コルトー版、パデレフスキー版、クロンケ版、などによって、各部分部分でかなりの違いがあります。ただ、曲趣から考えて、余り神経質になる程のことはないと思われますが、フィロロジカルな興味をお持ちの方のために、主な異稿を列挙した楽譜を準備しています。必要に応じてプリントアウトして検討して下さい。

 


以下、楽譜内に矢印マークのある楽譜は、オーディオ・ファイルとして演奏を再生することが出来ます。但し、若干サイズが大きい場合があるので、接続速度の遅い方はストレスがたまるかも知れません。その場合は、一旦全てをダウンロード&保存して、オフラインで再生することをお奨めします。

【詳細】
●冒頭4小節

@和音を構成する各音の音量バランスに注意します。「全ての音が同時になること」、及び、「ソプラノを少し強く、バスがその次、内声はあまり邪魔にならない程度」、に注意して下さい。響きの結果は参考演奏を聞いて判断して下さい。

Aスラーでつながれた二つの音は注意深く弾く必要があります。

ピアノでは、基本的に弦楽器や管楽器のようなレガート表現が出来ません。つまり、スラーの頭の音も、スラーの後の音も、結局はゴツンと言う同じ様なアタック音が聞こえてしまうからです。従って、スラーを表現するためには、この二つのゴツンに「微妙な音量差」をつけて、何とかそれらしく聞こえるように工夫するほかは手だてがないのです。しかし、この「微妙な音量差」は大変難しい。少なくとも指のタッチ(力の入れ具合)だけでは、とても実現できるものではなく、「肘のクッション」を援用する必要があります。この二つの音が「和音」の場合は、特にそうです。
ただ、打鍵に際しての肘や手首の微妙な動きに関しては、言葉では伝える事が出来ません。この問題は、いつか又(動画などを利用する形で)別個に採り上げたいと思います。ここでは、「肘の動き」が重要である事だけを指摘するにとどめます。

B最初の2小節に対し、次の2小節は、エコーのように音量に差をつけて弾くのが良いと思います。表現イディオムの常套手段として、同時音型の繰り返しのは、異なった表情を持たせる、事を心がけると良いと思います。

 

●5〜8小節目

@右手パッセージ最初の音は、左手より一息遅く入ります。このようにすると、ゴツンというようなアタック感を和らげ、柔らかい感じになります。これは、ピアノのようなアタック・コントロールの出来ない楽器で、歌謡的な旋律を弾く場合に必須のテクニックです。ただし、大変微妙な問題ですから、理解するまで、参考演奏を何度も聴いて下さい。

Aトリルは、はじめから速く弾かないで、少し遅めに入って途中で速くする、と云うような表情をつけます。これらの感じも、何度も演奏を聞いてのみこんで下さい。なおこのトリルには、前打音が付いている版も存在します。

Bショパンのアクセントについては、《19〜20小節目》の奏法解説を見て下さい。

C最後の小節の左手F#音は版によっては、D#音になっている場合があります。どちらでも好きな方で弾いて下さい。


●15〜16小節

@このような連符は左手と合わせる必要はありません。速く弾き終えれば、待っていれば良いし、遅ければ次の音符を少し喰えばよいわけです。一般に、ショパンの場合、右手の旋律には様々な装飾がかかることが多く、これが彼の音楽の特徴となっています。これは、基本的にバロックの鍵盤奏法流儀のショパン的発展とみなす事が出来、弾き方のコツも、バロック音楽の装飾フレーズと同じように考えて良いと思います。

A参考に指使いを付けていますが、これにこだわらず、自分の弾きやすい運指を考えて下さい。

この右手のような、ひとまとまりのパッセージを手に覚え込ませるための、良い練習方法があります。以下に説明します:

対象のパッセージを次のように変形します:

●元のパッセージに含まれる音を、3回ずつ繰り返して弾く事になります
●3回目は強く弾き、そのまま次の音が3回弾かれるまで保持します
●指くぐりがあっても、我慢して残すことを忘れないで下さい
●指使いは、元のパッセージのまま残します

この方法は、対象パッセージに「跳躍」が含まれる場合は応用できませんが、そうでない場合は結構な効果を発揮します(例えば、幻想即興曲の冒頭など)。是非、他の曲でも応用して下さい。

B[con forza]は「力強く」の意味ですが、これは記載していない版もあります。


●19〜20小節

一般に、ショパンの場合アクセント記号(>)にはテヌートの要素があり、アゴーギク上の変化が起きます。ただ、音を大きくするだけの場合はsfと書かれることが多いようです。従ってこのA音は、時間的に少し引っ張ります。この感じは、何度も演奏を聞いてのみこんで下さい。同様のケースは、曲中に多く現れています。全て、同じように考えて表現して下さい。
 

●25〜28小節

@前半の2小節と、後半の2小節は全く異なった感じで弾きます。又、この2小節の最後には、それぞれ充分に間を取ります。この「間」がないと、大変つながりにくいパッセージになります。つまり、相当大幅なアゴーギクの変化をつけるわけですが、ただ、この部分のアゴーギクは、コツを理解するまで時間がかかるかも知れません。参考演奏をよく聴いて掴んで下さい。

A前半2小節のの右手は、きっちり左手に合わせて弾かれている訳ではありません。微妙ではありますが、右手の流れは左手の伴奏とは別のものです。この二つのものが流れている感覚が、ここで「テンポのズレ」と言う言葉で表そうとしている問題です。

ちなみに、この旋律はヘ短調の協奏曲(通常、作曲順とは別に第2番と呼ばれているもの)からとられていて、元は:

と云うようなもの、もう一つは:
 
です。

ショパンは、このはじめの旋律をノクターンに取り入れるにあたって、初稿では右手左手の拍子を一致させずに

のような、変則的な譜割を書いています。右手と左手は、決して縦に一致するわけではない、と云うことは、これからもお分かり頂けるかと思います。
 


●31〜46小節

楽譜上の指示はありませんが、3拍子になったところから、速く(倍くらいのテンポ)で弾いてしまうことが多いようです。このために、2/4で充分テンポをためます。その勢いで3拍子からの倍テンポにのる訳です。この3拍子12小節の挿入句は、新しいテーマでも何でもなく、単に終止が引き延ばしてあるだけです。音楽的には、2/4の小節から直接[Adagio]小節につながっても良いわけです。従って、この挿入12小節はあっさり弾いてしまうのが良いと思います。

ちなみに、この部分には、ショパンの「乙女の願い」と云う歌曲(ショパンの書いた数少ない歌曲の一つで、リストのピアノ編曲があります)の中からとられていて、オリジナルのメロディは次のようなものです。

 


●53〜57小節

[appassionato](熱情的に)の所では、かなり速く激するようにテンポを上げます。そして、その後、その分をたっぷり取り返す訳です。これで、流れを曲の最後にうまく引き込む事が出来ます。この部分は、かなり意図的にデクラメーションを行った方が、曲全体のメリハリがつくように思います(私は、そうしています)。
 

●58〜60小節

@右手についた、スタカートは音を短く切ると云うより、右手音階パッセージの、ブレーキの合図ととった方が分かりやすいでしょう。ショパンの場合、細かい装飾パッセージについたスタカートは、概ねそのように(アゴーギクの合図として)解して良いと思います。

●ノクターン作品9-2)

●ノクターン作品9-3


A小さい音符のスケールは、特に2回目の35連符は、かなり急速に弾かなければなりません。スケールを速く弾くには、若干「コツ」があります。要は、「指をくぐらせない」事です。通常、スケールでは、親指が他の指の下をくぐる「指くぐり」が出てきます。ゆっくりとしたパッセージではこれは何の問題もありませんが、速いスケールでは、この時にどうしても「時間を食います」。そこで、速いパッセージでは、素早く手全体を滑るように平行移動させ、「指くぐり」が生じないようにします。これは、アルペジオでも同じで、「速いアルペジオ」ではやはり「指くぐりを」避けるのです。ただ、この時の肘や手首の微妙な動きに関しては、言葉では伝える事が出来ません。この問題は、(動画などを利用する形で)別個に採り上げたいと思います。ここでは、「手の平行移動」が重要である事だけを指摘するにとどめます。
 

●全体の演奏
最後に、全曲を通して楽譜を見ながら参考演奏を、聴いて下さい。下のアイコンをクリックすれば、楽譜全体が別窓で開きます。全曲通しの演奏もできますし、黄色く囲まれた範囲は、部分再生も出来ます。それぞれのポイントがどのように埋め込まれて、全体としてのまとまりをなしているか確認します。楽譜を見て、実際の曲イメージが浮かんでくるようになれば、しめたものです。