ピアノのテクニック
毎日の基本練習

 


【はじめに】
楽器〜特にピアノ〜の演奏には、結構スポーツ的な部分があります。つまり、「指が敏捷に動く」とか「どの指でも均等な強さで弾ける」とかの、いわば《運動神経的な》問題です。ここでは、このスポーツ的な部分の練習方法を具体的に採り上げようと思います。
ただ、スポーツ的な練習と云っても、実は二通りあって:
 ●スポーツで云えば《ランニング》などの、基礎トレーニング
 ●指くぐりや跳躍など、個々の《技術を習得するための》練習
は、少し異なります。ここでは、この《基礎トレーニング》に焦点を当てて説明します。個々の《技術を習得するための》練習については、項をあらためますので、そちらを参考にして下さい。

一般に《運動》の練習は、個人によって、かなり、その成果の現れ方が異なります。おそらく、中級以上の方は、それを良く知っていて、自分なりのトレーニング方法をお持ちであると思います。だから、ここに書くのは《入門》或いは《初級》の方々が対象です。又、本物のスポーツに関しては、近年「スポーツ医学」のようなものが発達して、かなり客観的な研究がなされていますが、残念ながらピアノの練習にかんしては、そのような研究はあまりなく、ここで説明するのは、私の個人的な経験によるものがかなり含まれます。しかし、特に《入門者》《初心者》の方にとっては、そもそも「基礎トレーニング」そのものが「何をどうして良いのか分からない」状況であることは、私も経験上分かりますので、ここでの説明が何らかのお役に立つに違いない、と考えています。

なお、この種の文献として、K.ライマーとW.ギーゼキングが共著した本(邦訳題名「現代ピアノ演奏法」)は、なかなか読みがいのある本で、一読されることをお奨めいたします。


[1]基礎トレーニングの時間割
基礎トレーニングは一度に長くやる必要はありませんが、出来るだけ毎日続けることが大事です。プロのピアニストでない限り、1回の時間は20〜30分で充分でしょう。ちなみに、私の基礎トレーニングは、次のようです。

 

内容 

時間 

 1

 スケールでのウォーミング・アップ

 5〜6分 

 2

 ハノンからの応用(1) 

 5〜6分 

 3

 重音奏による指の運動 

 5〜6分 

 4

 ハノンからの応用(2) 

 5〜6分 

 5

 重音奏による指の運動(4と同じ) 

 5〜6分 

個々の内容は次に説明しますが、重要なのは、これらのトレーニングで、手を充分「疲れさせる」事です。基本的には、この「疲れさせる」ことと「休み」のインターバルの組み合わせで「練習」が積み重なります。だから、闇雲に30分ぶっ続けで指を動かす必要はありません。懸命に指を動かしていると、疲れて下腕部が「熱く」なってくるのが分かります。疲れて動かなくなれば、10秒ほどのインターバルをとって下さい。但し、完全に冷えてしまっては元の黙阿弥ですから、完全に冷え切るまでに運動を再開します。


[2]スケールでのウォーミング・アップ
まず、スケール(音階)から始めます。この練習では、全調の音階を弾く必要はありません。白鍵のみのハ長調だけでも良いし、それに黒鍵の多い変ニ長調を交えても良いでしょう。各調の指使いは下の通りです。


【弾き方】
●指を高く上げる
鍵盤を叩く指以外は、出来るだけ高く持ち上げます。つまり、弾く指は高い位置からストンと落とすことになります。普通は、こんな不自然な弾き方はしませんが、これは「指をバラバラにほぐす」ウォーミング・アップなので少し無理をして下さい。こんな感じになります。

・ウォーミング・アップの為の音階奏

第3指(中指)、第4指(薬指)は、独立しにくいですから、意識して他の指を高く引き上げます。

第3指の打鍵

第4指の打鍵

第3指の打鍵・上から見る

第4指の打鍵・上から見る

●速度
1秒間に2〜3音で結構です。要するに余り速く弾かなくても構いません。スピードよりも「指を上げる」ことに注意します。

●強く弾く
フォルテで弾いて下さい。通常フォルテで弾くときは、手首や肘の動きを借りますが、ここでは手首が動いては行けません。要するに、指だけで精一杯強く弾く訳です。又、関係のない指は動いてはいけません。つまり、打鍵する指が高い位置から打ち込まれ、同時に今まで打鍵していた指が、高い位置に戻る以外は、他に動きがないのが良いのです。

●スタカートでも弾いてみる
完全に「指のタッチ」だけで弾けているかどうかを試すために、スタカートで(且つフォルテで)弾いてみましょう。少し、手前に引っ掻くような指の動きになります。この時、手首が動かないように注意を払います。手首が動くと云うことは、「指だけのタッチで」は弾けていない」と云うことです。このことを、確認するのに、手首に十円硬貨などを乗せて(これが落ちないように気を付けながら)練習するのも良いでしょう。つまり、硬貨が落ちてしまうのは手首が動いている証拠だからです。

・手首が動いた、良くないスタカート

・手首が動かず、指だけで弾いた良いスタカート


[3]ハノンからの応用(1)
ハノンは昔から使われている、基礎トレーニングの良い本ですが、ハノンの指示通り全曲通しで弾くなどは、プロのピアニストならいざ知らず、時間もかかるし大変疲れます。特に第3部の個別音型の訓練は、自由曲の練習中でも充分行えますので、ここではハノンのエッセンスだけをとりだして練習をします。目標は指の敏捷性と随意性の向上です。

ハノンから3種ほど取り出しましょう:
略して書いてありますが、1オクターヴでも2オクターヴでも、好きなだけ上り下りして下さい。

2つ目

後半が若干異なった3つ目

【弾き方】
●先ずは、このまま弾いて構いません。ただ、余り遅く弾かずに、M.M.=80〜160の間で弾いて下さい。
ただ、この練習は単調と感じる方が、おられるかも知れません。この時には、電子ピアノなどの「リズム」をメトロノーム代わりにあてがうと、結構面白いし、リズムに「乗る」練習にもなります。

・16ビートリズムをメトロノーム代わりにあてがって弾いた例

●リズムヴァリエーション
2、3の指に比べて4、5の指は極端に弱く、また敏捷性に欠けます。これらを補正するために、次のようなリズム・ヴァリエーションをかけて練習しても良いでしょう。こうすることによって、4、5指を素早く送る必要が生じ、良い訓練が出来ます。

この練習も、良く合うリズムを探してあてがいます。

・付点のヴァリエーションにリズムをメトロノーム代わりにあてがって弾いた例

・逆付点のヴァリエーションにリズムをメトロノーム代わりにあてがって弾いた例

 

●手首を動かさない
指を鍛える練習ですから、手首や肘で補助するのは禁物です。手首はピタリと静止していなければなりません。十円玉を乗せる方法は、ここでも役に立ちます。是非実行して下さい。手首と鍵盤の垂直位置にも注意して下さい。鍵盤よりも高い位置に手首があると、指が動きにくいので、同じ高さか、それよりも若干低い位置を保持して弾いた方が良いと思います。

手首の位置が高すぎる

このくらい低い方が良い

この状態で、弾くと次のようになります。手首が動いていないことを確認して下さい。

・ハノンからの音型を弾く

 

●随意性の向上
目標は、思うがままに指を動かせることです。しかし、このような、基礎的トレーニングの欠点は、繰り返し弾いていると体が覚えてしまって、無意識に機械的に指が動くようになってしまうことです。音楽の演奏は無意識や機械的とは正反対のものですから、このようなところに落ち込むのは拙い訳で、これを防ぐために次のような弾き方を取り入れます。
上記、3つのパターンはそのまま繰り返し弾いても良いのですが、ある程度体が覚えてしまったら、この3つのパターンをランダムに混合して弾くのです。この混合は、小節単位でも、右手左手単位でも構いません。数小節弾いて、惰性的になったかな、と思ったところで、スッとパターンを入れ替える訳です。例えば、楽譜に表せば、次のような感じになります。もしも、これが難しいと感じるようならば、「機械的反復練習」に落ち込んでいる可能性がある訳で、黄色信号です。


[4]重音奏による指の運動
私は、ブラームスの練習曲からとって変形を加えた、次のような音型を使っています。

この音型は、短時間で効率よく指の運動が出来るので、大変重宝します。時間がない時などは、この音型を15分ほど弾き続けてウォーミング・アップの代わりにしてしまいます。簡単に覚えられますが、念のために全曲の楽譜を準備しています。必要に応じて、下のボタンから印刷して下さい。

【弾き方】
●手の形
手の形は、最も基本的な形を保ち、かつ、安定していなければなりません。3度重音奏は、ピアノの技術の中で、最も基本的なものに数えられます。それは、これが純粋に「指のタッチ」のみで奏され、従って、この「指のタッチ」を得るために最適な「手の形」を常に要求するからです。

《最も基本的な手の形とは》
・指をピンと伸張させた状態(A)で、力を抜いた直後に出来る形(B)です。

(A)手指を伸張させた状態

(B)そのまま脱力した自然な形

そのまま鍵盤に手を持ってくれば良いわけです。掌は結構平らで、鍵盤は指の腹で打ちます。爪が鍵盤に当たるのは(爪を長く伸ばしている場合は別として)手が丸くなり過ぎです。

●手首
手首は完全に静止している(上下に動かない)のが理想です。つまり、完全に「指だけ」で弾くわけです。動かない指では、つい手首の上下でタッチを補助してしまいがちですが、これは厳禁です。繰り返して練習していると、手首に何かを乗せて弾いても、それが落ちないほど、安定した動作が出来るようになります。この練習のポイントはそこにあります。

●移調
白鍵だけでなく、黒鍵を含んだ調に移調して練習するのは大変効果があります。ただ、全ての調に移調する必要はなく、黒鍵の多い変ニ長調、指の幅が不規則に変化するハ短調(和声的)、の2種程度で充分でしょう。以下にそれぞれの楽譜を印刷できるようにしておきます。

変ニ長調

ハ短調

 


[5]ハノンからの応用(2)
指のトレーニングに効果的な方法の一つとして、「指をいっぱい開いた状態で」動かす方法があります。これを、ハノンからの音型を流用して実行します。
2種類あります。略して書いてありますが、好きなだけ上がり下がりして下さい。
●その1:

【弾き方】
親指を押さえたまま(2分音符で示す)、他の指を動かすのがポイントです。親指を押さえたままにしているために、手首をローリングさせる事が出来ません。又、各指が互いに拡がって、独立性を保てます。手が大きくて、オクターヴでは小さすぎる方は、9度か10度に拡げて弾く方が効果的です。

●その2:

【弾き方】
これは、かなり苦しいトレーニングです。手をローリングさせて(A)、トレモロのように弾いてはいけません。あくまで、「指で」弾きます(B)。

(A)手首をローリングさせて弾いている

(B)指だけで弾いている

弾いていると分かりますが、指が疲れるだけでなく、掌自体を伸ばしたり縮めたりすることが生じて、そのせいで相当疲れます。しかし、掌の柔らかさは、ピアノの技術的な部分では大変重要な要素で、これを得るために、掌の伸縮運動は良い効果を生みます。

その1、その2ともに全曲分の楽譜を印刷できるようにしておきました。

その1

その2


[6]重音奏による指の運動
これは、[4]と全く同じです。つまり、3度の重音奏を弾くことで、かなり無理な手の形をつくって練習した[5]の要素を是正して置くわけです。自然な、正しい手の形に気を付けて弾いて下さい。
 

[7]最後に
これで、基礎トレーニング・メニューが終了です。基本的には、他のスポーツと同じように、指のストレッチから入って、各種の運動をこなして行きます。正しい手の形と、正しい、指の運動に注意して毎日これを反復すれば、指の敏捷性は確実に上がって行くはずです。

ピアノの演奏のスポーツ的な側面は、昔から着目されていて、リスト、ヘンゼルト、アルカン、などその面で秀でていた人たちは、全くプロのスポーツ選手と同じ様なトレーニングを毎日怠らなかったようです。ショパンが尊敬していたカルクブレンナーなどは、ピアノ練習用の器具を製作販売して、一儲けしています。シューマンが無茶な練習をして、薬指を痛めピアニストをあきらめたと言うような(何となく、言い訳臭いですが・・)話も伝わっています。

このような、スポーツ的な側面を嫌う人は多いですが、しかし、アマチュア・ピアニストの楽しみは何処にあっても良いわけで、そのような楽しみ方があっても、一向に構いません。ただ、このような練習の際のポイントが一つあって、それは、「決して惰性で練習しない」と云うことです。惰性でやっても、確かに筋肉の力は付いてきますが、如何せん「敏捷性」と「随意性」という面は向上しません。つまり、単なる反射運動の繰り返しでは、実際にピアノを演奏できるようなテクニックはついてくれないのです。だから、毎日の基礎トレーニングも、惰性でやるのは無駄なことです。練習しながらも、色々な「工夫」と「注意」を凝らすこと、これがこの種の練習の最も重要な点であるか、と考えます。